大分長く稜線を辿ったが、鞍部に向けて下って行くと、ガスが少し晴れ、突然、22日の宿泊所、木曽殿山荘の姿が見えた。やれやれである。
 山荘は登山者で混んでいたが、宿泊者の寝場所を決める際、小屋の主人が、「東京の中島さん」はこちらへどうぞ、と、階段の脇の広いスペースを手配してくれた。私のすぐ先に着いたのが女性のパーティーだったので、その人達から場所を離そうという配慮もあったのだろうが、後から他の登山者も来なかったので、一人で広いスペースを占有でき、まことにラッキーだった。
 この日の、夕食は私の好物のカレーライスだったが、十分に歩いた後、、小屋でたっぷり休憩がとれたので、お腹が空いて、この日の夕食は、実に美味しかった。

 

中央アルプス縦走:千畳敷→宝剣岳→桧尾岳→木曽殿山荘→空木岳→南駒ヶ岳→越百山
                 1997年7月21日~25日

左の写真はやっと見えて来た西側の山並み。北アルプス南部の峰々と思われるが、山名は特定出来ない。右は、越百山(2614m)の頂上の標識。本当の頂上は、少し後の岩がある位置。中央アルプスは越百山を最後に岩とハイマツの高山帯の稜線は終わり、これより南は、樹木に覆われた亜高山帯の山域となる。
越百小屋の宿泊者は、夫婦連れの二人と、私の計3名のみ。木曽殿山荘の混雑がまったく嘘のようだ。夕食は小屋番の人が頑張って天麩羅をご馳走してくれたが、私は暑かったので途中で水をがぶがぶ飲んだためか、胃の調子が悪く、食欲が進まず、心尽しの天麩羅を少し残してしまった。申し訳ないことをした。左の写真は、小屋主人前左と、夫婦連れの登山者前右と後を、小屋の間で撮影したもの。人付き合いの悪い私でも、山に来ると他の登山者とすぐ仲良くなってしまう。右の写真は、小屋から少し下ったと所から撮した、中央アルプスの稜線。


翌24日は、越百山から須原に下ることにする。夫婦連れの登山者を先に行かせ、私は後から追っかける。大分下ると、尾根を下りきり沢に出る。そこからも、結構の道程があったが、やがて林道に出てしばらく行くと、公衆電話があり、そこからタクシーを呼び、三人で中央線の須原駅に出る。タクシーの相乗りは私が言い出したので、私が半分払おうとしたが、夫婦連れの登山者は3人で均等に割り勘にすべきだという主張を譲らなかった。
 須原は小さな駅だが、そこから一緒に塩尻の方に向かい、列車の中でも親しく語り合った。私は塩尻から、新宿に向かう、特急「あずさ「に乗り換え、立川で下車。4日間の登山を無事終える。
 霧がかかることが多かったが、適度に展望もあり、雨に降られることもなく、快適な山旅だった。,
南駒ヶ岳を下ると、仙崖峰(せんがいれい)の岩稜の通過となる。少しスリルがあるが、北アルプスなどの難所に比べると、それほどの危険はない。


写真左は、池山吊り尾根の最上部に佇む、空木岳頂上小屋。右は、頂上から眺めた南アルプスの山並みの々で、塩見岳の右は、荒川岳、赤石岳、聖岳など、南アルプス南部の山々。
空木岳が近づくと、頂上稜線付近には時々霧がかかるようになった。霧の間から頂上付近の岩稜が見え隠れする。
上は中央アルプスの高山植物。左の写真で大きめの白い花は、エーデルワイスの近似種、ヒメウスユキソウと思われる。中のピンクの花はヨツバシオガマ、右は橙色の大きな花が、クルマユリ、下の紫の花はハクサンフウロ。
中央アルプス縦走は一度1965年5月の残雪期に計画し、桂小場から大樽小屋に泊まり、翌日胸突き八丁→将棋頭を経て、中央アルプス最高峰の木曽駒ヶ岳に登頂し、宮田小屋に泊まり、空木岳→南駒ヶ岳を目指す予定だったが、天候が崩れて来たので、南部への縦走は諦め、宮田小屋から伊那前岳を経て、駒ヶ根市に下るというルートを選んだ。その時同行した弟は後に、独自に空木岳、南駒ヶ岳登山を果たしたので、私は30年余り後の1997年に、単独で越百山までの縦走に挑戦することにした。。
ついに南駒ヶ岳(2841m)の頂上を踏む。左は頂上にある小さな祠。右は頂上を示す標識と行き先を示す方向表示板。
とうとう、日本百名山の一つ、空木岳山頂(2864m)に登頂。左の写真は頂上の標識。右の写真は南アルプスの山並み。左から、鋸岳、甲斐駒ヶ岳、その右が仙丈岳、次の三角形は北岳、そしてなだらかな間ノ岳、農鳥岳、かなり離れた右端が塩見岳。塩見岳の左肩には富士山が顔を覗かせている。

空木岳を過ぎ、南駒ヶ岳に向かうと、登山者は急に少なくなった。南駒ヶ岳は、空木岳に比べ、山容、標高で遜色のない山だが、日本百名山に名前を連ねていないからであろうか。深田久弥の「日本百名山は」有名になり、登山者が急増しているが、その反動がこういうところに現れるから不思議だ。
左は、迫って来た、南駒ヶ岳、右の写真は、頂稜から擂り鉢窪カールを眺めた写真。避難小屋の赤い屋根も見える。

 いよいよ本日23日は、空木岳、南駒ヶ岳を経て、越百山に向かう日である。中央アルプス南部の大縦走となる。左の写真は昨日辿って来た北面の稜線。宝剣岳の尖った岩峰が見える。右はこれから向かう南側の稜線、空木岳方面を望む。
左は、霧が上がり、姿を現した、空木岳である。

下の写真は、小屋前から撮した、雲海に沈む入り日写真。
左下は、夕焼けが見え始めているが、まだ入り日前、右の写真は、ほぼ、同じアングルで、撮影した、入り日の写真である。

雲海と夕焼けが見事なので、23日の好天を期待して、早めに就眠した。前に説明した通り、広いスペースを一人で占有出来たので、誰にも邪魔されず、十分に睡眠をとることが出来た。
桧尾岳(2728m)山頂に到着。右は巨岩が累々と重なる、霧の熊沢岳(2778m)の通過。
桧尾岳が近づくと、少しガスが晴れてきた。手前のピークの後が桧尾岳。右は桧尾岳の近辺に咲いていた高山植物。黄色の花はシナノキンバイ、白はミヤマシシウド、紫の花は、ハクサンフウロ
上左の黄色い花は、大きな花がシナノキンバイ、小さめな花は、ミヤマキンポウゲ。右は千畳敷上部の写真、霧の向こうは稜線で、宝剣山荘は間近である。
翌朝、山荘から岩稜をしばらく登ると、鋭峰:宝剣岳(2931m)の頂上に到着。左は頂上の岩塔、右は頂上の一角で、腰を下ろして休める地帯。
やはり、頂稜は霧に覆われ、展望はない。

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左は、越百山付近から振り返った仙崖峰(2734m)、右は間近になった越百山(頂上の標識が見える)その後は樹林に覆われた中央アルプス南部の山並み、広くゆったり佇む峰が恵那山と思われる。
 7月21日の朝、立川から特急「あずさ」に乗車し、岡谷で飯田線に乗り換え、駒ヶ根で下車、バスでしらびそ平らに向かい、そこからケーブルで、一気に千畳敷カールまで登る。1965年には、まだこのケーブルは運転開始していなかった。到着時刻が午後遅くだったので、千畳敷カールは霧がかかり、展望はなかったが、色とりどりの高山植物の群落が出迎えてくれた。写真、左は歩き始めスタート地点、右は、カールの底に群生していた、コバイケイソウであある。