個人と社会  民主政治とスナフキン

                                             作曲:中島洋一


 スナフキン見参

 ここはムーミン、ムーミンママ、ムーミンパパ、ミイたちが住むお馴染みのムーミン谷。ここに時々姿を現すギターを奏でながら旅をするスナフキンという孤独な青年がおりました。ある時、悪魔が善人に変装してムーミンの村を訪れ、『この村を美しく豊かな村に変えて差し上げましょう』と吹聴します。人々はその男の言葉を信じてしまいますが、その男が悪魔の化身であることを見抜いたスナフキンは、人々に「騙されないように」と警告します。しかし人々は、かえってスナフキンの態度に怒り、彼を村から追放してしまいます。彼が去った後、悪魔はついに本性を表わし、人々に様々な危害を加えます。それを知ったスナフキンは村に戻ってきて、あらゆる知恵を働かせ悪魔を追い払います。住民たちは自分達の愚かさを反省し、スナフキンに感謝と賞賛の言葉を贈ろうとしますが、すでに、彼は姿を消していました。人々が彼を捜しに行くと、彼は村外れの原っぱで、いつものように一人で気ままにギターを弾いいておりました。
 フィンランドの画家、小説家、トーベ・ヤンソン女史の原作による、擬人化された妖精たちが繰り広げるムーミン谷の物語は、日本でもテレビアニメ化され、多くの人々に親しまれましたが、その登場人物のうち、スナフキンは特に人気のあったキャラクターでしょう。原作では芝生に立てられた「立ち入り禁止」の立て札に怒り、引き抜いてしまうような、かなり偏屈で非協調的な性格に描かれているようですが、アニメではもう少し協調的に書かれてはいるものの、支配されること、また支配することを嫌い、自由な生き方を求める人物というイメージは引き継がれています。青春時代の第二次世界大戦中から挿絵画家として活動を始め、その時代の自己の生き方について、ある種の苦い記憶を抱いていると思われる原作者にとっても、スナフキンは特に自身の想いを強く託す人物だったのではないかと思われますし、ムーミンの物語を愛した多くの人々にとっても、スナフキンは、自由を愛するアーティストを象徴する人物として、心に焼き付いたのではないでしょうか。
 この文章を読み続けるに当たり、各々の読者は自分自身が想い描くスナフキン像を膨らませながら、それを一つの軸に、読み進めて下さることを期待します。

アテネの民主政治とソクラテス

 古代ギリシャの哲学者ソクラテス(紀元前469年?~ 紀元前399年4月27日)が生きていた時代、彼が住んでいたアテネ(アテナイ)の政治体制は一時的に変動したものの、殆どの期間は民主制が採用されており、在留外人、奴隷を除く18歳以上の男性にはすべて参政権が与えられておりました。デモクラシーは、デーモス(市民集団)による支配を意味するギリシャ語のデモクラティアを語源としています。(橋場弦著〈民主主義の源流〉より引用)
 市民は抽選で、役人や、陪審員になったり、兵士となって都市国家を防衛する任務についたりしました。また、民会(政策を決定する市民会議)や民衆裁判所の決定も市民による多数決でなされました。ソクラテスが青年時代を送った、紀元前444年~430年には、優れた指導者、ぺリクレスが将軍職を務め、民主制のもとでアテネが最も繁栄した時代であり、ソクラテスも重装歩兵として参戦しています。
 彼が老年に達したある時、ソクラテスの弟子がアポロン(知の神)の神殿があるギリシャ中央部の都市国家デルフォイに赴き、アポロン神殿の巫女に「ソクラテスより賢い人はいるか?」と問うと、巫女は「ソクラテスに勝る賢者はいない」と告げます。弟子はその神託をソクラテスに報告しますが、ソクラテスは不審に思い、世間で賢者と言われていた人達と問答を試みますが、彼らは専門知識や雑学を備えてはいるものの「「真・善・美・徳」について深く考え、そして知ってはいないということに気付かされます。ソクラテスは「自分は大切なことを知らないということを知っている」、「無知を知る」自分の方が、自分は賢いと自惚れている者達よりは賢いのではないかと考えるようになり、多くの市民達と問答を試みました。
 社会的地位や財産のある有力な市民たちが、ソクラテスに問答を挑まれ、言葉に窮して答えられなくなる姿をみていた若者たちの中には、普段偉そうに振る舞っている気に入らない大人達の化けの皮をよくぞ剥がしてくれたと、喝采する者も現れます。ソクラテスもまた、小賢しい世智に染まっていない若者達相手に好んで問答を試みます。そして「無知の知」を唱えるソクラテスこそ、真の賢者ではないかと、彼を信望する若者たちが増えて行きます。
 己の面目を打ち砕いたソクラテスが、多くの若者たちから敬愛されるのをみた市民の中に、ソクラテスの存在に対して不安と不快感を抱く者が出て来て、ソクラテスが70歳になった頃、彼は「若者たちを誤った方向に導く危険人物」として告訴されます。そして、彼を有罪とするか無罪とするかの裁判が開かれます。結果は陪審員の281人が有罪、220人が無罪の判断を下したそうです(愛知哲仁氏の文から引用)。そして、どのような罰を与えるかについて話し合われます。命は奪わずアテナから追放するなどという罰もあり得たらしいのですが、ソクラテスは自分の行為について一切謝罪をせず、「知を愛すること」の正しさを主張し続けました。それがかえって陪審員たちの反感を買い、結果的に、ソクラテスは死罪となり、4月27日に毒杯をあおり、命を落とします。なおギリシャ語で「知を愛すること」は「フィロソフィー」であり、それが英語の「philosophy」の語源で、日本では「哲学」という訳語で普及しています。

自由であることの恐怖

 ソクラテスに有罪の判決を下し、処刑した市民たちは、ソクラテスの何を恐れたのでしょうか? 
これは私の想像ですが、ソクラテスは「己の無知を自覚し、それと向き合うことこそ、真の知に近づく道である」と説いたと思います。しかし、それは多くの人々にとって、今までに獲得した知識をご破算にし、自分が築いてきた地位や財産の価値についても疑うことにつながり、それは耐えがたいほど恐ろしいことだったのではないでしょうか。そして自分を不安に陥れるソクラテスを忌み嫌い、排除しようとしたのではないでしょうか。
 しかし、裁判でソクラテスを処刑した市民たちは、後になってソクラテスを告訴した人物を、裁判にもかけずに処刑したという史実が残っています。「無知の知」を説いたソクラテスを処刑したものの、自分たちは誤ってかけがえのない「叡智」を葬り去ってしまったのではなかろうかという畏れと、後悔から、今度はソクラテス処刑のキッカケを作った告発者を処刑するに至ったのではないでしょうか。
一般的に人は自由を愛し、それを求めて生きていると言われますが、あらゆる既成の価値観や知識をひとまずご破算にし、心を真っ白な状態におくことは、とてつもなく恐ろしいことであり、多くの人々は、そのような足がかりすらない自由がもたらす不安から逃れようと足掻くのではないでしょうか、全体主義が生まれる過程については、政治学、社会学的に分析がなされることが殆どですが、人々の心の中に潜む「自由の恐怖から逃れたい眺望」も、全体主義を生み出す心的要因となっている可能性があります。

民主政治の長所と成果

 2500年ほど前に実現したギリシャの民主政治の構成員は在留外人、奴隷を除く18歳以上の男性でしたが、女性の参政権が一般的に認められたのはごく最近のことで、欧米でも20世紀前後から、日本では第二次世界大戦終戦後のことです。もっとも、政治史に大きな影響をもたらした女性は、洋の東西を問わず昔から少なからず存在したのですが。(例えば源頼朝の妻だった北条政子など)
 民主制とは、過去の王政や封建制の時代の政治に比べ、より過ちが少ない進歩した政治体制と美化する人もいますが、民主制確立以前の封建時代にも、例えば上杉鷹山(うえすぎ・ようざん)のように領民のために善政を施した賢い領主も存在します。では、民主制においては多くの人の意志が反映されるだけに、より賢い結果が得られるのでしょうか? では最近あった身近な例に触れてみましょう。東京都知事だった石原慎太郎氏が都知事を辞任した後、都知事選挙が行われ、圧倒的多数でI氏が当選しました。ところが、選挙資金問題で、僅か1年の任期で辞任し、次の選挙ではM氏がまた圧倒的多数で当選します。ところがM氏も、政治資金使途の公私混同などが取り沙汰され、任期2年4ヶ月で辞任します、都民達自身が圧倒的多数決で選出した都知事を二人も失脚させ、結果的に1回の選挙で済む筈だったのに、3回選挙を行うことになりました。都知事選の費用は1回あたり、約50億円といわれますが、50億円ですむ筈のところを150億円使ったことになります。託児所が少なく,子供を持つ女性で働けない人が多くいる中で、もし100億円あれば、託児所なども、もっと増やせただろうにと思えます。
 つまり、上杉鷹山のような賢い指導者の政治に比べ、民主政治はむしろ失敗や無駄が多いというのが現実かもしれません。しかし、これは私の個人的な評価ですが、東京都の場合などは、上手く行かず何度もやり直しているうちに、だんだん良い方向に向かっているような気がします。
また、高度成長期に生産性の向上ばかりに関心が行き、海も河も公害でひどく汚染されたことがありました。しかし、今は東京湾にも豊かな漁場が戻りつつありますし、魚が棲めそうになかった多摩川も鮎の宝庫として復活しています。民主政治は民衆自身が誤った判断を下し失敗することがあっても、それを支える民主社会が健康に呼吸している限り、比較的容易に、やり直しが出来るという長所がありそうです。

 
判りやすい政治と、ポピュリズム

 しかし、一般の市民は、それぞれの生活を築くために、様々な仕事に従事しています。ギリシャの民主制の時代には、プロの役人はおらず、市民が分担して役人や、陪審員の仕事を行っていましたが、社会が高度に専門化、複雑化した現代社会においては、それはプロの政治家、官僚、法律家の仕事になっています。現代の市民の中にも高い政治意識を抱き、積極的に政治に参加しようとする人もいますが、市民の多くは個々の生活に追われ、政治にあまり関心を持たないのが実状かもしれません。しかし、民主制のもとでは政治家は、多くの市民(民衆)の支持を得て、選挙で多数の票を取らないと、自分が意図した政策を実現することが出来ません。それで、政治家は出来るだけ判りやすく、自分の政治スローガンや政策を人々に伝える努力をします。「アメリカファースト」、「市民ファースト」、「We can change (我々は変革することが出来る)」。このような短い言葉で表現されたスローガンは、判りやすく、さらに政治家の演説力が加われば、人々の心に強く訴える力を持ちます。しかし、より支持を広げるには、多くの人々(民衆)が今の政治にどのような不満を抱き、何を求めているかを突き止め、人々の要求を満たすソローガンと政策を訴えて行かねばなりません。
 政治家の中には、人々の不満を煽り、その原因を作って来たのがエリートによる既存の政治と見なし、それを民衆の敵とし強く対決する姿勢を示すことで、多くの民衆の共感と支持を得ようとする人々が現れます。そのような政治姿勢をポピュリズム(英: populism)と称し、そのような姿勢で政治活動を行う人をポピュリストと呼びます。しかし、「自民党をぶっ壊せ」、「政治を永田町から庶民の手に取り戻せ」、「官僚主導の打破」などと政治の問題点を短い言葉で示し、それと闘う姿勢を示すことで多くの人々を覚醒させ支持を広げようとする政治手法は、我が国でもよく見られますし、それは、民主制のもとではある程度まで容認出来る手法と考えます。
 しかし、ポピュリスト達は「諸君の生活を脅かしているのは外国から流入した移民たちだ。そしてそれを野放しにして来たのは既存の政治勢力たるエリート連中だ。連中は自分達の利益だけを考え、国家と、民衆の利益をないがしろにして来た。私は既存のエリート政治と闘い、政治を民衆のもとに取り戻し、移民を排除し、諸君の雇用を確保し、諸君の豊かな生活を取り戻す」などと訴えます。
しかし、今の世の中は複雑で、いままで中間層だった民衆が没落し、経済格差が広がったのは、必ずしも移民を受け入れたことだけが原因ではないかもしれません。一般の民衆は今の世に対して強い不満を抱きながらも、政治を深く勉強するゆとりがありません。ですから、問題を単純化して示し、既存の勢力に対して激しい闘い挑む姿勢を示すポピュリスト達に、心を奪われ賛同しやすいのです。

ポピュリズムとファシズム

仮に前記のようなポピュリストが政権の座に就いたとしても、健全な民主社会が存在している限り、司法の権力からの独立が保たれ、言論の自由は保障されていますから、権力を得ても好き勝手な政治は行えません。また、在任中十分な成果を上げ得なければ、次の選挙で今度は民衆の支持が得られず、政権の座から追われることになります。つまり健全な民主社会が存在するならば、民主政治は、たとえ一時期失敗したとしても、致命的な事態に陥る前に、やり直しが出来るということです。
ところが、歴史を見つめると民主政治からファシズムが生まれ、取り返しがつかなくなるような事態をもたらしたことがあります。第一次大戦後の1919年からドイツで始まったワイマール共和制の時代は、女性を含む普通選挙が導入され、政治の民主化がめざましく進行した時代でした。しかし、重い戦争の後処理に続き、さらに世界大恐慌が追い打ちをかけ,市民生活はとても苦しくなり、そういう世相を背景に、ドイツ人(ゲルマン民族)の人種的優越性と、反ユダヤ主義を掲げ、ドイツ労働者の救済を叫ぶナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)が急激に躍進し、とうとう選挙で第1党になり、1933年には党首ヒットラーが大統領に就任し、その年には全権委任法を議会で承認させ、ファシズム体制を完成させます。ナチ党の政治は当初、軍事産業、道路の整備などの公共事業により失業率を大幅に減らし、国民車構想などを打ち出し国民に夢を与え、圧倒的な支持を得ます。多くの国民の目には、ヒットラーこそ国民を危機から救い民族の誇りを取り戻してくれる英雄と写ったのでしょうか。感極まって涙を浮かべてヒットラーに敬礼する若者達の記録映像を今でも観ることができます。
 しかし、民主政治が機能していれば、例え政治が誤った方向に向かったとしても、すぐそれを捨ててやり直しが出来ます。しかし、ファシズム体制が一旦成立してしまうと覆すことは困難になり、結果的に大きな悲劇を生み出し,体制が崩壊するまで悲劇が続きます。

 
日本の場合は
 
では、同時代にナチ党が支配するドイツの同盟国だった我が国の実状はどうだったのでしょうか。
日本人は強烈な個性を持つ独裁的人物に引っ張られることはあまり好まないように思います。しかし、集団における協調性を重んじる傾向が強く、「一致団結」、「一丸となる」といった表現を好みます。国家が困窮している時、戦いも辞さず国家に奉仕し、みんなで窮状を打破し国家の繁栄を築こうという想いが国民の間に強くあり、そういう風潮を背景に軍部が時には暴走しながらも、次第に勢力を蓄えて行ったのではないでしょうか。 そして国家主義的一体化体制のもと、言論活動は強い制約を受け、また国家権力にとって都合の悪い情報は、国民の結束を乱す危険を孕むものとして一般に流布しないように言論統制が敷かれて行きます。ドイツとは成り立ちが少し異なっていたとしても、健全な民主社会が機能しないような事態に陥ったこところは殆ど似ています。そして、国民のみでなく世界の人々を大きな悲劇に巻き込んだ末、ようやくボツダム宣言を受け入れ終戦を迎え、軍部に支配された国家主義から脱却します。

 
その時、スナフキンは

そのような時代に、支配されること、支配することを嫌う自由人スナフキンたちは、どのように過ごしていたのでしょうか?中にはナチスに協力的だった芸術家もいましたが、多くの芸術家や学者がナチスの弾圧を恐れ、亡命しています。また詩人のガルシア・ロルカはヒットラーと関係が深かったスペインの独裁者フランコに抵抗して処刑されていますし、ピカソは、フランコによって爆撃された「ゲルニカ」を題材に絵を描き、抵抗の意志を表しています。
しかし、ドイツにあっては、言論活動はおろか、芸術表現に至るまで自由が大きく制限され、この時代、スナフキンのような自由人は、ペンを取られ口を塞がれ自由を奪われていてしまいました。
ヒットラーが最も恐れていたのは共産主義者ではなく、強い信念をもちながら己の精神的自由を貫くリベラリスト達だったようです。そのような思想家、学者、芸術家こそ、彼の体制を脅かしかねない危険で恐るべき存在と映ったのでしょう。

 個人と集団

この文において、民主政治、ポピュリズム、ファシズムなどに触れましたが、それを政治学的観点からではなく、むしろ人間学的観点からアプローチしてみようと思ったのが書くきっかけでした。
人は一人では生きられません。特に人類の祖先が樹上生活を離れ、直立二足歩行による草原での生活を選んでからは、食物も少なく、猛獣などに襲われる危険性が高い草原で生存するために、仲間達と助け合うことが出来る集団生活の営みが不可欠になったものと思われます。一方で人は心を発達させ、自分自身の精神の営みを持つようになります。しかし、この文の前の方にある「自由であることの恐怖」という項目で触れたように、誰の助けも借りず、自由に思考を展開することで、人は足場のない雲の上を歩くような不安と恐怖を覚えます。それで仲間に助けを求めることで、その不安から逃れようとします。人間の心の奥には、仲間を失うことの恐怖が常に潜在しています。
例えばいじめによる集団暴行事件などで、そこにいる仲間がみんな暴行に加担してしまうのは、その行為が好ましくないという意識があっても、仲間外れにされることの不安から、一緒に手を下してしまうからでしょう。
しかし、人間は仲間と同じ目的を共有しお互いに励まし合って行動することで、より大きな充足感が得られます。また共通の敵を意識することで、仲間同士の団結が強まり、連帯感が増します。それが良い方に表れれば、異なった集団が競い合い切磋琢磨することでお互いに向上する結果に繋がるかもしれませんが、悪い方に表れれば、敵集団(時には、民族、国家が該当)との果てしない抗争をもたらすかもしれません。
もちろん、人間の行動は、そんなに単純な図式で表せるものではありませんが、人の人格は、個と集団(国家、社会、仲間)の綱引きの繰り返しの中で形成され、また行動も形づけられて行くのではないかと思います。
 
いまある世界を凝視すると

ファシズムなどというと、ずっと昔の遠い国の出来事のように思いがちですが、すぐ隣にそれに近い政治体制の国家が存在することに気がつく筈です。また「芸術における表現の自由の保障」など、我々は当たり前のことのように思いがちですが、中国のヴァイオリニストRさんから伺った話だと、文化大革命時代には、ラヴェルやモーツァルトは隠れて演奏していたそうです。それは、それほど遠い昔の話ではないのですが、今は中国からは多数の旅行者が訪れ、日本の文化や風土に高い関心を抱き、それを旺盛な食欲で消化して帰って行きます。
さて、この文の初めの方で、スソクラテスに触れましたが、ソクラテスを処刑してしまったアテネの市民は、現代に生きる我々に比べ愚かだったのでしょうか?私にはそうは思えません。また北朝鮮の人々も政治体制が変わり自由に国際交流が出来るようになれば、我々と気軽に意思疎通が出来る仲間になっているかもしれません。
ファシズム、全体主義などは、ずっと遠くにあるものではなく、むしろ人間の心中に、そのような状況に陥りやすい性質が潜んでいるような気がします。
今の世界は、格差の広がりや、民族間の抗争など、解決困難な問題を多く抱えており、それらが人々の心を不安にしています。最近はそういう状況の中で、民衆の不安を煽り、短絡的な解決策を示し、民衆を扇動するようなポピュリストたちの台頭が顕著なように見えます。いま、世の中を間違った方向に導かないために、我々は何をすべきなのでしょうか。

最後はスナフキンで締めましょう

この文において、しばしば民主制を支える「健全な民主社会」について引用しましたが、「健全な民主社会」とはどんな社会でしょう。
それは多様な価値観、少数意見が存在出来る社会、スナフキンのように集団に埋没しない強い個我をもった自由人が、生き生きと呼吸できる社会を意味します。そういう社会は時には抗争をもたらすことがあっても、活力に満ちあふれています。
そういう社会が存在する限り、民主政治が例え誤った判断を下したとしても、すぐに修正が出来ます。しかし、一旦ファシズム体制に陥ると、スナフキンは生きられなくなります。
そういうことは、国家のような大きな集団に限ったことではありません。
 スナフキンのように悪魔の正体を見破れるような人物がいないと、人々の魂の救済を掲げていた筈の宗教集団がテロ集団に変貌してしまったり、政治革命を目指した筈の革命集団がいつの間にかリンチ殺人事件を犯すような集団に変貌してしまったりするかもしれません。
 それは、何も今まで挙げた特殊な集団に限りません。芸術文化団体のような集団においても、スナフキンのような自由な精神の持ち主が、いづらくなり、愛想を尽かして去って行くようなことがあると、活力を失い、衰退の道を辿るかもしれません。
では再び問いかけます。この文の最初にムーミン谷のスナフキンについて語った後、「自分自身が想い描くスナフキン像を膨らませてみて下さい」とお願いしましたが、あなた自身のスナフキン像を描けましたか?
 それは、「無知の知」について命を賭けて説いたソクラテスかもしれないし、「共和制」の理想を掲げ、保守的な貴族や政治家と闘いながら、すさまじい集中力で音符を書き続けたベートーヴェンかもしれないし、西洋文化に深い懐疑を抱き、タヒチに渡った画家のゴーギャンかもしれないし、様々でしょう。
そして、次はスナフキンを自分自身に当て嵌めて考えてみて下さい。今挙げたような天才的人物にはなれなくとも、自由な精神を抱き続ける人間として自分自身の心を鍛えることが出来たら、そして、そういう人間が多くなれば、例え世の中がファシズムや全体主義に流されそうになっても、その時こそ、それを防ぐ役割を担えるかもしれません。

                                     (なかじま よういち)


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