コラム    ヒトの進化史から観た民族文化論  

                                                         夢音見太郎


 私が地球史、生物史、人類の歴史に興味を抱きはじめた若い頃には、現存するヒト科の生物は、ヒト属、ホモ・サピエンス(現存人類=賢いヒトの意)の1属、1種だけというのが定説だった。ところが最近のDNA解析の進展により、ヒト科の分類法が大きく変わり、かつてはオランウータン科として分類されていた、オランウータン属、チンパンジー属、ゴリラ属も、新学説ではヒト科に含めて分類されることが多く、さらにチンパンジー属については、ヒト科の下の階層であるヒト族として、人の遠い祖先にあたる一部の猿人共に含めて分類されることがある。勿論、遺伝子の近縁性に基づくこのような分類法については、一部に懐疑的な見方もあるようだが。
 また、現存人類までの進化の道筋については、20世紀に入り、北京原人、ジャワ原人など原人の化石が世界各地で発掘され、それを根拠に、原人時代の約170万年前〜50万年の間に、ヒトは世界各地に拡散し、それぞれの地で、原人→旧人→新人(現存人類)と進化したという仮説が唱えられたことがあった。しかし、最近では、古人類学上の新たな発見、遺伝学の進展などから、旧説はほぼ否定され、ホモ・サピエンスは、およそ20万年前にアフリカで誕生し、約5万年前から世界各地に拡散して行ったというのが定説になってきている。つまり、黒人、白人、黄色人種などの祖先も起源は同じアフリカということになる。46億年の地球史の長さと比べると5万年という時間は、ほんの瞬間ともいえるほどの長さに過ぎぬ。地球上には多くの民族、文化が存在し、あるものについてはお互いに理解し合うのが困難なほど隔たりがあるように思えることもあるが、遺伝子上の違いは僅かでああり、生物学的観点に立つと、ホモ・サピエンス間の差異は極めて小さいということになるのだそうだ。 
 そう考えてみると思い当たる節もある。ギリシャ神話、日本神話など異なった民族によって育まれて来たはずの神話の世界には、意外なほど類似点が多い。ものの感じ方についても、例えば周波数数値の大きな音を、「高い」と感じ、「高い音」と表現するのは、民族の違いを越え、現存人類共通のようだ。
 しかし、たとえ5万年前には同じ地域に生存し、各民族間における西武地学的個体差は小さいとしても、文化人類学的観点に立てば、地球上には多様な民族、そして多様な文化が存在するという認識するのは当然のことと思える。
 では、その差異はどこから生じたのであろうか。人間は、今は同じヒト科の仲間として分類さているチンパンジーに比べ、かなり未熟児な状態で生まれてくる。従って誕生時の知能はチンパンジーよりかなり低い。人間が未熟状態で子供を産むのは、環境への適応性をより高めるためであろう。人間は誕生後の学習によって成長し変化する幅が最も大きい生物だとされている。例えば、生まれながらに日本語、英語をしゃべれる人はいない。言語能力は生後の学習によって獲得したものである。ずっと昔、『狼少年』物語のごとく、狼と一緒に育った少年が発見され、ニュースになったことがあったが、当然のことながら、その少年は言葉をまったく喋れなかった。
 5万年前から世界の各地に拡散して行ったホモ・サピエンス達は、移住した風土、環境に適応し、白色人種、黄色人種などとなり、それぞれの社会、文化、言語を育んで行ったのである。 
 話が変わるが、ずっと昔、私が米国のUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)で研究していた頃、ある高名な邦楽家の支援で、突然、日本の伝統音楽の講座が開設されたことがあった。東京芸術大学邦楽科卒の若い邦楽家のS君が講師として招かれ、講座が開設されてまだ3ヶ月足らずの時期に学内で、その成果を披露するコンサートが開かれたが、アメリカ人の学生達が、箏曲「千鳥の曲」などを上手に演奏していた。S君の話だと「自分は日本では主に小母さんたち相手に教えているが、飲み込みが悪い。それに比べてアメリカの学生達は非常に飲み込みが良い。普段から音楽をやっている人達はこんなに違うものなのか」と驚いていた。殆どの学生たちは、開設された講座で箏や三味線などの邦楽器に初めて触れたようだったが、洋楽の経験はそれなりに豊富だったのだ。学生達の多くは日系三世、日系四世達で、自分たちの民族の文化を理解したいという強い意欲をもって学び、コンサートではその成果が表れたとも云えるが、受講生の中には日系人でない者もいた。異なった文化、風土で育った学生達のことだから、日本の伝統音楽の受け止め方も様々であろうが、喜びをもってそれを受容したことは、多分間違いない。
 文化の習得には血(遺伝的継続性)より環境の影響がずっと大きいようだ。私の後輩の作曲家でオーストリア人と結婚しウィーンに住むA女史は、彼女と子供達が過ごす時間については、日本語で会話するという生活を徹底させていた。母の国の文化と、自分が育っているウィーンの文化の両方を大切にして欲しいという願いからである。従って子供達はドイツ語と日本語の両方を自由に話すことが出来る。
 一方、外国に移住した人の中には、自分が日本人であることに引け目を感じるのであろうか、家庭内で日本語を使わない親もいる。そういう親のもとで育った子供は日本語も習得せず、日本文化に触れることなく育ってしまう。しかし、そのように育った人間でも、ちっとしたキッカケで、祖国の文化に強い関心を抱き、それを深く習得するようになる場合もある。人は意志の力で自分を大きく変えることが出来る生き物なのである。
 近年までは交通インフラも整わず、移動範囲が限られ、一つの地域に留まり生活し、社会、文化を育んで来た人類だが、今日では世界の何処へでも自由に移動することが出来るようになり、外国から来た人々が、定住することも珍しくなくなった。そういう傾向が進む中、父母のいずれかを外国人にもつ人々が、各界で多く活躍している。また、欧米で生まれた音楽が日本のみならず、アジア諸国で演奏されることなど、ごく当たり前になって来ているし、歌舞伎がパリやニューヨークで公演されたり、和食が世界的ブームになっているように、他民族が生み出した文化に積極的に触れようという気運が世界的に高まって来ているようである。人類は生物学的には差異が少なく多様性に乏しい生物かもしれないが、だからこそ、多様な民族が生み育てた多様な文化を大切にし、人類の共有財産として存続につとめる努力をする時代にさしかかっているのであろう。多様性こそ新たなものを生み出す豊かな土壌となりうるのであるから。
 ところで、歴史上において民族の違いが抗争の要因になったこともしばしばあったし、現在でも偏狭な民族意識が抗争の火種となることもありうる。また、大きな抗争にはなりえないであろうが、最近は日中、日韓の関係がギクシャクしていると言われ問題になることがある。しかし、民族的には日本人と朝鮮人、中国人は極めて近似している。弥生人は今から2800年前〜2000年前に朝鮮半島から渡って来た大陸の人々であり、それらの人々が縄文人を駆逐し、また縄文人と混血して形成されたのが我々日本人である。つまり、人種的に殆ど同じなのである。
 人類の好戦的性質について、視点を変えて考えてみよう。チンパンジー属とヒト属は、約700万年前に同じ祖先から分岐した動物である。一見愛嬌者のように見えるチンパンジーだが、凶暴で戦闘的な性質を併せ持ち、抗争が殺し合いに発展するケースも珍しくないようだ。チンパンジーのそのような性質は共通の祖先を持つヒト属にも受け継がれていると考えられる。戦闘的な性質というと負のイメージが強いが、食物が豊富で且つ安全な樹上生活から、危険な草原の生活に踏み出すことを余儀なくされた、ヒトの進化において、闘争心、競争心が、新しい道具を生み出し改良するなどの技術的蓄積、猛獣との闘いにおいて生存力を高める力となったことは想像出来る。しかし、人とは環境、状況に対して優れた適応力をもつ生き物である。武器をもって集団同士で殺戮をし合うようなことは、もう卒業すべきであろう。今年の高校野球は観ている者を興奮させる熱戦が多かった。選手達が勝利を目指し闘争心をむき出しにして試合をしているから人々を感動させることが出来るのである。そして闘いが終わった後は、負けた方は悔しいだろうが、お互いに敵方だった相手チームの健闘を讃え合う姿は観ていてすがすがしかった。人類がスポーツで、あるいは議論などで闘わせながら、お互いに切磋琢磨し、新しい未来を切り開いて行くことが出来れば、それは素晴らしいことではなかろうか。
                        (季刊『音楽の世界』2015年秋号 掲載)

 
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