構造改革の時代と若者達        作曲:中島 洋一

 今年の流行語大賞に『聖域なき改革』、『米百俵』など、小泉首相が口にしていた幾つかの言葉が選ばれた。昨年の大賞は『IT革命』、これは当時の首相、森氏の造語ではないものの、彼がさかんに口にしていた言葉である。また、一昨年はその当時の首相、故小渕恵三氏の『ブッチホン』が大賞に選ばれている。
 三年連続して、首相の造語、または口癖としている言葉が大賞に選ばれたことは異例のことであろう。それは、庶民が政治に大きな期待を寄せたくなるほど、現在の我が国の社会、経済状況がのっぴきならぬ状況に追い込まれて来ているということを示してはいないだろうか。
 ところで『IT革命』、『聖域なき改革』、『米百俵』などの言葉は言わずもがな各々が『構造改革』という目標のための分身であり、『IT革命』はその具体的内容の一部にかかわり、『聖域なき改革』は推進のための手続き、『米百俵』は、その理念を表すものであろう。『構造改革』という言葉を通俗的に解説すると、「自主努力が出来ず業績の上がらない企業、団体にはお引き取り願って、時代に対応できる元気のよい企業、団体にとって代わっていただきましょう」という風にでもなろうか。当然、杜撰な経営により膨大な債務を抱え、その穴埋めとして血税を湯水の如く使い国家財政悪化の要因をつくっている特殊法人の統廃合なども、最重要課題の一つとなる。
 そういう中で、労働界などの一部から「構造改革の強引な推進は『経営体質の弱い企業は潰れろ!』ということになり、それは弱肉強食主義、経営優先主義の横行をもたらし、失業を増大させ、庶民を苦しめ、人の心を荒ませることにならないか」と懸念し、また批判する声が出てくるのも、頷けないことではない。
 しかし、私は今、我が国は産業に留まらず、教育、文化などあらゆる面で、大改革が必要な時期にさしかかっていると思う。
戦後の高度成長期の我が国は、若者の人口が多いピラミット型の年齢構成を持ち、永年雇用、年功序列という安定したシステムのもと、年長者が新人達に仕事や生き方についての智慧を与え、先輩達の仕事や生活を見習って育っていった若者達が、やがてその企業の中心を形成して行くというようなあり方で、集団も個人も成長して行くことが出来た。ところが、今や我が国の組織は、年齢構成も上の方に偏り、働く人々の生活感覚、倫理観も変化し、かってのように、そこに身をおくだけで人が育って行くというような人材育成のための豊かな土壌は失われつつある。また、生活意識が個人中心に傾いて行く中で、能力差、仕事に対する熱意など、個人個人の間の差も広がって来ており、そのような状況のもとで、かっての永年雇用、年功序列のシステムを貫こうとすれば、かえって悪平等を招き、不公平さを増大させかねない。
 いま、企業、団体などの組織に必要なことは、個々の人々の才能、活力を最大限発揮させ、集団の活力を甦らせることであろう。つまり、集団が個人を育てた従来型の体制から、個人が集団を育てる、新しい体制への移行であろう。しかし、それはとりも直さず、人と人との間の、意見対立、そして競争の激化を意味する。そして、若い人々が社会に出たとき、否応なしにこの渦に巻き込まれて行くことになろう。
 今月号の特集の記事として掲載されているが、本誌では昨年の12月1日に、現役の音楽学生達を集めて座談会を行った。携帯電話とインターネットのIT世代の若者達だが、将来に対する夢と不安を抱くその姿は、我々の若い頃と比べて大きくは変わっていない。ただ、若者達を取り巻く社会状況は、我々が若かった時代に比べ、ずっと厳しくなって来ている。我々の時代には『でもしか教師』などという言葉の流行に見られるように、音大を卒業したからといって、えり好みさえしなければ就職などについてもなんとかなるご時世だった。もちろん社会と折り合いをつけながら自分のやりたいことをやり続けるには、それなりの困難さがともなったことは今も昔も変わりがなかろうが。
 ところで、今の若者達は結構さめた観察力も持っているので、将来直面する困難さについてもある程度予測がついているであろう。人は、目の前に立ち塞がる高い壁が見えてくると、どうしてもその壁を避けて、安易な道を選びがちである。しかし、可能性がある限り挑戦する意欲を持ち続けることこそ、若者が若者たる所以である。そのような大胆な勇気こそ、閉塞状態にある今の世の中を変えて行く力になりうるのだ。
 さりとて、今の世の中で初心を貫くことは容易なことではない。特にクラシック音楽分野で演奏活動を続けることの困難さは、年を追うことに増して来ている。このような時代であるからこそ、この30余年、高い社会的意識を持ちながら音楽活動と言論活動を併せて行って来たことを自負する我が日本音楽舞踊会議が、ささやかなりとも、意欲ある若者達の支えとなるような活動を行ってゆくべきではなかろうか。会にそのような活力を甦らせることこそ、本会の構造改革であろう。
 それと、前述したように、構造改革の時代とは、人と人の間の競争と対立が激化する時代かもしれない。人々はそのような渦の中で、孤独になり傷つきやすくなる。いま。若者に限らず多くの人々が『癒し』という言葉がさかんに口にするようになって来ているのは、それだけ人の心が傷つきやすくなって来ているからであろう。こういう時代を生き抜くには確かに強さも必要だ。しかし、真の強さとは「他人のことなどどうでもいい」という無神経さ、身勝手さとは別なものである。あるテレビ局が、モンゴルの草原に逞しく生きる遊牧民達を取材した。その頃、当地は干ばつで牧草が育たず、多くの家畜が失われてしまった。そのような過酷な状況下にありながら、遊牧民達は食料を求めてきた隣の部落の女性に惜しげもなく羊一頭を与える。そして「あなた方にとって、強さとやさしさとどちらが大切ですか」と問う取材記者の問いに対して、彼は言う「それは、優しさだよ!強くなければ生きられない。しかし、強さだけでは生きている価値がない」 大草原に生きる逞しい男の心から発せられたこの言葉を、若者達に贈り、この文章を締めることにしよう。

                 (なかじま よういち)
                                    月刊『音楽の世界』 2001年12月号  巻頭文

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