平和と生きがい     作曲:中島 洋一



 私は本来仕事の道具であるはずのパソコンで、気分転換をかねて時々ゲームで遊ぶことがある。私が長くプレイした贔屓のRPG(ロールプレイングゲーム)の中に、以下のような1シーンがあった。
 ヒロインの少女の仲間で戦士の男が「俺の故郷の島では以前切り倒したはずの【平和の樹】が、また大きく育ち、人々の心を蝕んでいる。俺はそれを切り倒しに行かなければならない。」と訴える。なぜ【平和の樹】を切り倒さねばならないのか、少女は訝しく思うが、仲間を信じてついて行くことにする。
 島では巨木に育った【平和の樹】の下で、人も動物も決して争うことなく平和で静かな暮らしを送っている。しかし戦士は【平和の樹】を守っている実姉に、「こんなのは本当の平和ではない、これでは人々は生きる気力さえも失ってしまう。」と叫び、樹を切り倒そうとする。すると悪魔が現れる。【平和の樹】は悪魔の化身だったのだ。ヒロインと仲間の戦士は悪魔を倒す。守ってきた樹を倒された姉は激しい口調で言う。「こんどは貴男が正しかったかもしれないけど、平和を守るというわたしの信念は決して捨てないわよ」彼は「そうあってこそ姉さんだ。本当の平和とは争いがないということではない。平和な世界とは各々の人々が自分の生きがいを求めて前に進むことが出来る世界のことだ」と返す。
 戦争を経験した世代の人々は「いまの若者達は平和の有難さが分かっていない」と嘆くことがあるが、ゲームのこのシーンは、戦争のない平和な時代に育った作者の反対側からの問いかけのような気がする。
 ここで、戦中に生きた人々の心に分け入ってみよう。戦後、医学博士から漫画家になった手塚治虫は、終戦を知った時「これで思い切り漫画が描ける」と心の中で快哉を叫んだそうである。手塚と同世代の城山三郎は、理工系学生ということで徴兵猶予となりながら、自ら志願して海軍に入隊する。そして戦争末期に人間魚雷として敵戦艦激突し自爆する任務を担う特攻隊の伏龍部隊に配属になり訓練中に終戦を迎えている。戦後小説家になった城山は、晩年になって特攻隊時代のことを語っていたが、宿舎の天井の梁(はり)には、帰れぬ戦場に赴く前に特攻隊員がつけた刀傷があったという。「お国のためとは思いながら、未来のすべてを絶たれた若者の無念の想いがその刀傷に込められている」と涙ぐみながら語っていた。
 「これで思い切り漫画が描ける」と叫んだ手塚にとって、やりたいことが出来る未来が開かれたということ自体が、有頂天になるほど大きな喜びだったのであろう。
 平和を「戦場で武器をとって殺し合う必要がない状態」と狭義の意味で捉えれば、戦後に育った世代の殆どは、戦争のない平和にどっぷり浸かり、ある者にとって、それは刺激も、心を躍らせるものもない、退屈極まりない時間に感じられるのかもしれない。
 生きがいという面ではどうか?バブル崩壊期以前なら、例え貧乏していても一生懸命働けばお金持ちになれるかもしれないという夢が持てた。また、例えお金持ちにならなくとも、一生懸命何かをすれば人も社会も自分を認めてくれる、というように、人、社会を信頼する気持ちが多くの人の心に残っていたのではなかろうか。
 今の時代は、死という未来を奪うものが迫り来る状況を避けられても、若者の中には「自分が求めるような未来は、なかなか開かれない」という無力感に襲われる者が少なからず存在するのではなかろうか。また、人との結びつきも希薄になり、孤独感に苛まれる者もいると思われる。
 時にはそのような若者の中から、とんでもない事件を起こす者が現れる。例えば、6年前に秋葉原通り魔事件を起こしたKなども、そのような若者の一人だったかもしれない。
 私は、「今の若者は平和ボケし、苦労を知らず弛んでいる。」などという言い方はしたくない。人はそれぞれ、時代やその人の置かれた状況によって、その人なりの困難な課題を背負い込むものであろう。そして、その困難さは他人からはなかなか見えにくいものなのだ。
 ただ、「自分には生きがいなんぞない」「心を躍らして取り組むべきことなどない」と否定的な考え方に取り憑かれるようなら、想像力を働かせて、特攻隊員だった兵士のように「すべての未来を絶たざるをえなかった人」の心に思いを馳せて欲しい。
 例え一度描いた夢が破れたとしても、また「自分の生きがいをすぐには見つけ出せなくとも」、何かを探し求めながら未来に連なる時間を生き続けられること自体が恵まれたことではなかろうか。そのように思い直し、焦らず、むしろその過程を楽しみながら自分が求めるものを探し続けて欲しいと願う。
 ゲームで始めた話なので先のゲームに話を戻そう。
ゲームには、ヒロインの血から造られた人造人間の少女が登場し、敵となってヒロインと戦う。戦いに敗れた彼女は「お母さんはいいなあ、未来があって。私は2年しか生きられないのでもう寿命なの。」そう呟き、ヒロインの胸に抱かれて息絶える。

(なかじま・よういち:本誌編集長)
                            『音楽の世界』2014年12月号掲載  論壇(巻頭文)として掲載

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