楽聖会見記 bU マーラー    夢音 見太郎     

 

 淡い緑の香りがたちこめる新緑の白樺や落葉松の林をくぐって、マーラー先生が仮住いされている八ヶ岳山麓の山荘に辿りついた時には、強い初夏の陽射しも力を失いかけていた。  ドアを叩きながら『マラー先生!マーラー先生!』と再三呼んだが、さっぱり反応がない。数分間ドアを叩き通したところで、ようやく細縁の眼鏡を掛け、典型的な分裂気質を思わせる風貌のマーラー先生が、不機嫌そうな顔でムッと黙って姿を表わした。彼は無言で会釈し、自分の部屋に案内した。そこには立派なオーディオ装置が置かれ、沢山のLP・CDディスク、それに楽譜などが雑然と置かれていた。

M「今、わたしはバーンスタインとかいうアメリカ人が指揮をしている、私の第八交響曲のレコードを聴いていたのだよ!その途中で君が訪れた、だから不機嫌な顔で出迎えることになったのさ。(LP、CDの山を指さして)それにしても沢山あるものだ。」
 それはみんな先生の作品ですか?
M「いや!ベートーベン、モーツアルト、ワグナーなどのものもあるが、私のものも随分多い。」  この二十数年、世界的に先生のブーム が続いているのですよ。 M「どうもそうらしいね」

 なぜ!こんなにブームが続くのでしょ うか?レコード会社が仕組んだ陰謀のせいだという説もありますが。
M「そういうこともあるかもしれない。でもそれだけならこのように長くは続かないだろう。結局、今の時代にも孤独人間が多いということではないかな!勿論ステレオ以後のオーディオの影響もあるがね。
 オーディオは音楽との関わり方につい て、人間にどのような影響を与えたと思われますか?
M「たとえば、自分の聴きたい時間に自分の聴きたい音楽が聴ける、これはオーディオがもたらした大きな変化さ。また、生の大オーケストラだと聴き取りにくい音量の小さな楽器を、明瞭に浮き立たせて聴かせることも出来る。ある面では生の音楽以上に、私の音響設計上の意図を実現してくれているといえるかもしれない。
 私の友人で毎夜先生の第十交響曲のア ダージョを聴くという男を知っていますよ。
M「そのようなことは昔は出来なかったのだ。それにしても毎日私の音楽を聴いてくれているとは、・・・・昔の私なら嬉しくて、その人にに投げキスをしてやりたく思ったほどだろうが、しかし、そんなに私の音楽だけを聴いているというのはどうかな、優れた音楽は他にも沢山ある。もっと他の人の音楽も聴くようにした方が良いと思うね。」

 なぜ熱病にかかったように先生の音楽 にとり憑かれる人が多いのでしょうか。
M 「熱病という表現はひどいな、・・・・ところで・・・・天国での話だが、日本から来た太宰治という、いい奴だがちょっとキザな男と知り合いでね。そいつと『俺達は大して似てもいないのに、お互いになぜこうも熱烈なファンが多いのだろうか』などと時々話あうのだよ。もっとも彼のファンには若い女の子が多く、こちらはどちらかというとオジチャマが多いようだがね。  しかし、文学と音楽というジャンルの違いはあるが、どちらのファンも自分だけが唯一の理解者だというような顔をして、作者と一対一で対話したがるところがよく似ている。彼のファンは一人で書斎に閉じ込もり、自分自身を太宰におきかえたり、唯一の味方を得たという気持ちを抱きながら、密室で語り合っている。私のファンは照明を暗くしたオーディオ・ルームに一人で閉じ込もり、私の音楽を聴きながら涙を流している。どちらもそこに自分自身の影を見ているのだよ。

 つまり、先生のファンの多くは傷つい た魂をもつナルシストということになりますか。
M「そうかもしれない。」  やはり、ちょっと病的な感じもします ね。 M「うむ、ただ繊細な魂は病みやすいものなのだよ。」

 先生は自己弁護するような口調で答えると、黙り込んでしまった。私は気まずくなって一息つき、大きな窓から薄暗くなった外の景色を眺めた。少し風が出てきたせいか、落葉松のシルエットが揺れていた。ここは、東京から遠く離れた山の中なのだ。     ところで先生は折角日本の音楽諸団体 の招きで東京に来られたのに、どうして、このような山奥に引き隠ってしまわれたのですか?

 M「いやね、実は・・・・ホテルで夢うつつに風の唸り声を聴き目を覚ました。窓を開けて確かめると、それは自動車が通る音だったのだ。 それ以来、その音が気になって寝つかれなくなってしまってね。・・・・
 先生が泊まられたホテルはどうやら場 末の安ホテルだったようですね。
M「うん、日本は経済大国になったわりに、音楽団体は貧乏なようだ。その団体の中に日本音楽舞踊会議という団体も名を連ねていたがね。
 どうもすみません!
M「いや、恨んではいないよ。それに、・・・・忙しくてなかなか実現できなかったが、昔から私は大自然の中で生活することが好きだった。風のささやきや、小鳥のさえずりを聴きながら、命の素晴らしさと、はかなさについて思いをめぐらしたものだよ。特に、自分の病気を知らされてからは、・・・・自動車の騒音の中に生きる現代の都会の若者達にどれだけそのような心が残されていることだろうか。


  うちとけてくると、先生は次第に純粋な芸術家特有の無邪気で自己中心的性向をしめされてきたので、思い切って、よりプライベートな話題に切り込んでみた。
 アルマさんはどんな人でしたか?彼女 との結婚生活は幸せでしたか?
M「アルマはこの国流に表現すると才色兼備した素晴らしい女だった。ただ、振り返ってみれば、マザコンの私とファザコンの彼女の組合せは、必ずしもベターとはいえなかったのだ。(口ごもる。)
 先生は作曲家の卵であった奥さんに作 曲することを禁じたそうですね!それは随分と利己的な要求ではありませんか?もし現代ならウーマンリブ団体から訴えられかねませんよ!
M「今、考えてみればそうさ。ただ、私の生活は仕事の面でも、心の面でも、いつ崩壊するか分からない状態にあったのだ。だから、彼女には私の看護婦役に徹して欲しかったのさ。でも、彼女はよく辛抱して耐えてくれたよ。とても辛かっただろうに!そのような彼女の気持ちをもう少し察してあげることが出来たらよかったのに、・・・・当時の私にはそれだけの余裕がなかったのだ。
 先生が天国へ旅立たれた後、彼女は他 の多くの男の愛を受けましたね。それを知って先生は悲しくはなかったですか?
M「それは悲しかったさ。でも彼女は長い青春の年月を私に捧げたのだ。彼女には失った分をとり戻す必要があったのだよ。それに彼女はとても魅力的だったし。・・・・でも彼女の心の中で、私はずっと生続けていたのだよ。


  シェーンベルグについてはどうですか 生前、先生は彼を一所懸命に援護なさいましたが?
M「彼は音楽的才能、知性、豊かな人間性のすべて兼ね備えた素晴らしい芸術家だった。でも、だんだん私の耳は彼の響きについて行けなくなった。しかし、私には当時の彼が感じていたこと、やろうとしていたことはなんとなく理解出来た。お互いに将来の時代対して危機的な不安を予感し、何かを必死で守り抜こうとしていたのだよ。彼が無調に走ったのも、その不安に捉えられたからさ。私の死後、その予感は現実のものとなって姿を表わした。アウシュビッツの悲劇を聞かされるにつけ本当に胸が痛むよ。ただ、彼はあまりに優れた頭脳の持ち主であったがために、自分の切り開いた世界を論理化することを急ぎ過ぎたようだ。彼以後、我々の西洋音楽は知性と感性のバランスを失ってしまった。ベリオ君が、彼のある作品に私の音楽を取り入れたりしたのも、失ったものを懐かしむ気持ちからかもしれないよ。

  つぎに指揮者としての先生のお話をお 伺いしたいと思います。私は若い頃先生の作品のスコア(総譜)をよく読みましたが、その時、作曲家マーラーの背後に、指揮者マーラーが存在するのを感じました。 
M「私は楽器のバランス、テンポなどについて細心の注意を払った上で、わたしの魂のすべてを鳴り響く音に捧げた。指揮をしている時は私自身が音楽そのものになったのだよ。それだけに、私の要求を満たしてくれない楽員の存在が許せなかった。私は、楽員達につらくあたり、結局多くの人々から嫌われた。私が様々な音楽上の指示を微細にわたりスコアに記入したのも、演奏家が信じられなかったからさ。私の人間不信は、年々ひどくなって行った。そしてますます孤独になった。私は人生の指揮者としては失格者だよ。」
 先生!そんなことをおっしゃってはいけません。先生の音楽は多くの人々の心を慰めているのですよ。
M「私はもっと心の広い人間になりたかった。多くの人々に愛の手をさしのべられる人間になりたかった。でも、実際は自分のことで精一杯だったのだよ。私は傷ついた自分の魂を癒すために作曲した。それが、たまたま今日、予想もしなかったような数の愛好者を獲得するにいたったのだ。」  
 
先生!現代の人間にたいして何かメッ セージを!
M「たしかに過度のナルシズムはいけない。しかし自分を大切に出来ない人間は、他人を大切にすることも出来ないだろう。魂の傷を持たない人間に、他人の悲しみや苦しみを理解する力があるだろうか。自分を大切に思う人間が自己愛を乗り越えようとするとき、はじめて本当の他者愛が生まれのだと思う。  私は何度も別れの歌を書いた未練がましい人間だ。しかし、だから、命の悲しさ、はかなさ、貴さは知っているつもりだ。そういう心だけは失わずに持っていて欲しい。そうしたら何百、何千万の人間を殺戮するようなことは、とても許せないだろう。」
  最後に音楽家・音楽愛好者に対しても 一言お願いします。
M「ppを大切にしなさい。ppにはff以上に深い思いが込められているのです。そして、それを感受しうる能力をいつまでも失わずに持ち続けていただきたい。」
 帰路、先生は私を途中まで、送ってくれた。 その時の先生は最初にお会した時とは別人のように優しかった。高く昇った月の光が先生の顔を照らし出した。その時の先生の表情は聖者のように美しかった。     (音楽戯評 ゆめおと・みたろう)

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