暑中対談『科学と芸術と音楽と』
化学 三輪 誠 /作曲 助川 敏弥 /研究 野口剛夫
三輪誠氏は、文末に簡単な経歴をご紹介したように、科学者であるが、同時に熱心な音楽愛好家でもある。永い間、あらゆる種類の音楽会、公演に来訪され、経験深い音楽の聴き手である。特に現代音楽には熱心な関心をお持ちで高い見識の持ち主でもある。なお、この対談には野口剛夫副編集長も出席した。
助川・三輪さんのご専攻は?
三輪・私は化学ですけど、正確な言い方をすれば、透過光を調べることにより、その物質の構造を調べる「分光化学」という分野の仕事をしてきました。
助川・何度もお手紙を交換させて頂きましたが、この前のお手紙に書かれていたことが私には大変大事なことで大きな感銘を受けました。科学と芸術はどう違うかということですね。
科学の本質は、ものを認識することで、クリエイトではない。相対性原理はアインシュタインが発見しなくてもいずれ誰かが発見しただろう。しかし、ゴッホの絵はゴッホが居なかったら存在しない−− こういうことでしたね。
三輪・そうです。付け加えれば「認識と予知」でしょうか。
助川・いまは科学が大変勢力を延ばしている時代で、科学と芸術の接点がときおりおかしくなって、領空侵犯を互いに犯しているようなことがあるように思うのです。そんな話をまた後の方でうかがいたいと思います。
三輪・いま言われたように科学がどんどん文化の方に進出してきている。文明ではなく文化>の方にです。生物の分野、クローンの問題、宇宙の間題、ビッグ・バン、宇宙量子論。時間、空間等々。哲学の分野まで攻め込んで来ているという認識を持つべきだと思います。
助川・科学の方にモラルがもとめられるのでしょうね。
三輪・そうですね。
助川・三輪さんは音楽会によく来られるようで、先日も私どもの弦楽部会の会にも見えましたが、音楽会にはお若い時から行かれているのですか?
三輪・私は信州の諏訪で生まれ育ちまして、諏訪交響楽団というのは大正7年に出来たのですが、あの創立には父も関係していたのです。
助川・え!諏訪はこの日本音楽舞踊会議が以前シンポジゥムをやった所ですよ。その時に諏訪響の代表者の両角(もろずみ)さんという方に講演して頂きました。あの時、三輪さんという方に紹介して頂いたような記憶がありますよ。
三輪・その人は父の従兄にあたる人の御子息で、本家の息子さんです。
助川・驚きですね!
三輪・私の母は1900年生まれですが、諏訪の生家の隣にルーテル教会の牧師さんで渡辺さんという方がいたんです。その方の奥さんがフィンランド人で、その方にピアを教えて頂いたんです。その方は渡辺暁雄さんのお母さんですよ。そんなことで音楽に馴染むんですね。
西洋と東洋のちがいはサイエンスの歴史の有無
助川・日本人が西洋音楽をすることの理由や可能性については後でお話ししたいのですが、三輪さんがかねてから言わることは、西洋と東洋の違い、その一つは、サイエンスの歴史が西洋にしかなかったということですね。
三輪・そうですね。西洋と東洋の一番はっきりした違いはサイエンスの歴史を持ったか持たなかったかだ、と私は思っているのです。中国は独特のテクノロジーを発展させていたし、音楽の方でも平均律まで考えついているんですが、サイエンスが育たなかった。この西洋と東洋の違いの原因はいろいろあると思いますが、一番大事なことは宗教ではないかと私は思うんです。ギリシャにはキリスト教はなかったわけですが、哲学思想がローマに渡り、一時、アラブに引き継がれ、また西欧ラテンに戻る、という過程を経ながら、脈脈として繋がったものがある。中国がなぜそういうものを持てなかったか。ニーダムという人が中国の自然科学を詳細に研究していますが、音楽について言えば、音律の理論と具体的な演秦とが結びつかず無関係のままだったと言っていますね。ユークリッド幾何学の「原論」もアラブから中国に入ったんだそうですが、帝室図書館あたりに入って全然使われなかったそうです。原理的なものを具体的なものに適用するという発想がどうも少なかったようですね。
助川・しかし、一時はアラブが中心だったわけでしょう。アラブはキリスト教ではないですね。それに数学はアラブでずいぶん発達したんではないですか。
三輪・そうです。「アルジェブラ」なんでアラビア語だし、また、インドからも「ゼロ」という観念がアラブに入っています。こうした数学でも中国では余り発展させられなかったんですね。
助川・インドはどうですか。
三輪・インドは中国とはまた違うようですね。アーリア人種ですから西洋と繋がってるようですね。
助川・しかし、西洋のサイエンスも近世に入ってから発展したんで、中世の頃は錬金術みたいな怪しげなことをやっていたんじゃないですか。
三輪・しかし錬金術も、ヘルメス主義の間題とも関連しますが、ギリシャから引き継いだ精神の実証的な基本は変っていなかったようですよ。ニュートンは晩年錬金術者になったと言われていますが、それによって彼の自然科学における業績は少しも粗なわれません。これこそ自然科学の本質が認識であって個人の思想とは無関係である良い例だと思います。
助川・ギリシャの頃からピタゴラスのような科学の精神はあったわけですね。しかし、ギリシャは多神教ですから、かならずしも宗教が基本とはいえないのではないですか。三輪・多神教という点だけをいえば日本だって多神教ですけどね。しかし、政治形態でいえば民主主義というものがギリシャで出来ている。そういうことを考えると多神教といっても東洋のそれと違うんではないかという気がしますね。
助川・ギリシャでは四元素の考え方がありましたね。
三輪・中国は五つですね。五行説。ギリシャではプラトンがこういうことを言っています。たいへん自然科学的発想と思うんですが「火は四面体である。気は八面体。水は十二面体である。土は正方形の繋がり」というんですね。
助川・おまじないみたいですね。
三輪・しかし、これは大事なことと思いますよ。物事を具体的な形で捉えようとする姿勢ですね。形との繋がりというのを西洋の自然科学は大事にするんですよ。形でつかまえるという考え方ですね。これが十九世紀まで来て、分子軌道理論に群論という数学の考え方を使って化合物を形で分類する。そういうこととヽプラトン以来連綿として繋がってきた「形」で捉まえようということとが統いている。
助川・目に見えるものとしてですね。楽譜の発明もそれと一緒かもしれませんね。音が消えればそれでおしまいというのではなく、形に残すということ。目に見えるものとして記録することによって、その場限りのものでなく、深く考えながら作っていくことができるようになった。
三輪・日本では、その場で消えてもいいという思想だったんでしょうね。
助川・私は時々考えますが、高い音、低い音、という言い方も、本当は振動数が多い音少ない音であって、高い低いというのは類推にすぎない。空間現象に置き換えているわけですね。しかしそのために壮大な建築的音楽が構想されるようになったわけですね。その反面、音が消えればそのまま、すべては消えるという「はかなさ」みたいなものは失われたとも言えますね。
三輪・それはそうです。
助川・しかし、中国には抽象的思考があったんじゃないですか。
三輪・中国には確かにそれはあります。しかし、それが工学、テクノロジーには繋がったが学門にはならなかった。
助川・古代エジプトはどうですか。ピラミッドの三角形などは。
三輪・エジプトの場合はギリシャの影響が人っているでしょう。ダーウィンが自宅の庭でミミズの研究をした装置がありますが、これには20年かけているんですね。ミミズが土を掘り返すのでその装置が少しずつ下に沈む、それを計るのに20年かけている。そうい,うすごいしつこさ、それが東洋にはないんです。紀元前500年頃ターレスという人がいました。この人が「万物は水から生ずる」と言いました。ところが16世紀になって、オランダの科学者、ヴァン・ヘルモントという人が植木鉢に木を植えて毎日水をやった、木は段々大きくなる、しばらくして鉢の重さを計ったらもちろん重くなっている、しかし、土の目方は変っていない、水をやった結果目方が増えたんだから「ターレスは正しい」と言ったんです。彼はこれに5年かけてます。この人は、炭酸ガスを最初に確認した人で、いい加減な学者ではない人です。その後、17世紀にボイルという人、ボイル・シャールの法則のあの人ですね、あの人がガラスの容器に水を入れて煮たんですよ、そうしたら中に白い沈殿物が出た。だから「万物は水から生じるというターレスは正しい」とまた言いました。ところがすぐその後、ラボアジェという人が閉鎖系の中で水を煮て、やっぱり沈殿物が出たんですが、これがガラスから生じたケイ酸塩であることを分折で確かめ、これではじめてターレスの「万物は水から生じる」というのはウソだということが証明されたんです。なんと2000年かかって。こういう、しつこさ、というのが東洋にはない。
野口・単一の原理をもとめてさかのぼる努力でしょうか。
三輪・抽象的な思考は東洋にもあるんですが、すべてモノに結びつけようとする考え方、それをまた袖象的な原理として集約しようとする考え方、それが西洋で、東洋と西洋と別れ道がそういう所にあるように私には思われます。
助川・しかし数学はアラブでも発達したわけですから、それはあながち西洋人だけではないでしょう。
三輪・私が考えているのはアラブもふくめてのことです。
助川・なるほど。ヨーロッパだけでなくて、あの辺一帯ですね。
三輪・一帯です。インドも入ります。
助川・大きく分けるとそういう体質を持った文化とそうでない文化とあるということですか。
野口・おおもとは今の中東でしょう。あの頃のヨーロッパは原始宗教の時代で多神教ですから。
三輪・そうですね。それからもうひとつ。西洋で学問が発達した原因の一つに学会とい,っものがありますね。
助川・一人じゃなくて大勢の人が力を合わせるということですね。
三輪・東洋にはそれはなかった。
助川・江戸時代の日本の数学は関孝和なんかライプニッッに負けないくらいの水準にまで達していたけれど彼を支える社会がなかったためそれきりになってしまったそうですね。幕府が援助していたらずいぶん違っていたでしょうね。
三輪・そう、それとまた、学者自身もそういうリンケイジを作っていればね。西洋で学会が出来たのは17世紀、1601年が最初ということです。
助川・日本の徳川幕府の初期の頃ですね。しかし、最近のように世界の交流が盛んになって通信交通が発達すると、異文化をとりいれたり学んだりすることが出来ますから、それによって今まで持っていなかったものを学習するということもできますね。
三輪・そうですね、ただ、東と西には何か越えられない違いがあるんじゃないか、どうも私はそう思うんですがね。
助川・そこが問題ですね。日本人がこうして西洋音楽をやっていますが、何時の日にか西洋人と同じように出来るようになるのか、また、そうなる必要が果たしてあるのか、ということがある。いまから40年以上前ですが、誰か文学者が、多分、大岡昇平さんだったように思いますが、日本のバレェを見て「日本人は足が短くて体形もわるくて、とても見ていられない、日本人はバレェをやめた方がいいんじゃないか」と新聞に書いたんですね。これに対してバレエの人から猛烈な反論が出て大騒ぎにな?たことありましたよ。しかし、今の日本の若い人は体形がきれいになってきましたからね。やっぱりやめないでよかったですね(笑)。
日本語と左右脳 日本語の特性
三輪・今日一番お話したかったのは日本人の脳の研究の話なんです。これは本当に画期的な研究だと思いますよ。角田さんの研究ですね。
助川・一時軽薄なブームみたいになりましたね。
三輪・私は、日本に西洋のような構築的な音楽が生まれなかった一番の原因は日本語にあるのではないかと思い、日本語の特異性について調べましたが明確な答えは得られませんでした。ところがこの問題も自然科学者がひとつの答えを示してくれました。右左の脳の違いが何から来るかということですが、それは日本語のアイウエオの母音だというんです。日本人の母音の受けとり方がヨーロッパ人とまったく違うというんですね。日本語の母音はヨーロッパ語の母音と全く性格が違う。日本語では母音が単独で意味を持つことが多い。日本語では母音も子音も言語脳である左脳へ入る。ヨーロッパの言葉では左脳へは子音しか入らない。
助川・入る、とはどういう意味ですか?
三輪・アクセプトする(受けいれる)ということです。ヨーロッパの人では母音は非言語脳である右脳へ入る。そっちの脳が音楽を受ける脳だそうです。日本語では文章の中で母音を切り捨てると全く意味をなさなくなる。しかしヨーロッパ言語では母音なしで子音だけでも意味が成り立つ場合が多い。
助川・しかし、その脳のどっちに入るってのはどうして分るんですか。
三輪・耳に信号を送るんだそうです。右の耳に入ったものは左に行くんだそうです。決して右には行かない。クロスするんだそうです。そういうことが膨大なテストの結果得られたのだそうです。
助川・そういうこというなら、インドネシア語ではどうだ、スワヒリ語ではどうだ、という話になりませんか。
三輪・それもやっているんです。それでとても面白いのは、中国語、韓国語は全部ヨーロッパ型なんですよ。そうなると東と西というのもそう簡単に分けられなくなる。日木語と同じなのは、トンガ、マオリ、東サモアとか、そういうポリネシア系の人と言語だそうですよ。日本語というのはやはり向うから来たんでしょうかね。ところが日本に住んでいる韓国人の二世の人、これはすっかり日本人と同じなんだそうです。
助川・やはり文化ですね。生まれてからインプットされるんですね。日本人もアメリカで生まれてアメリカで育つと中身はアメリカ人になっちゃう。
三輪・そうです。脳の仕組みが変っちゃうんです。それを左右するのが言葉というわけです。
助川・先天的な生理構造ではなく後天的なものですね。
三輪・そうですね。だから、一時問題になった「コウロギの声は雑音か」という話も、アメリカ生まれの日本人には雑音になるんでしょうね。だから、日本人は、論理的なものと情緒的なものを区別せず割合いアイマイなまま入れてしまうんじゃないでしょうかね。向うは論理構造を持っているものとそうでないものとはきちっと分けて受ける。これは丸山真男氏の言う日本文化の特性とも一致していると思います。
助川・ドイツの音楽社会学の研究でも言っているように、音楽の受け人れ方は後天的なものによって変るんで、その人がどのような育ち方をしたかによるというんですね。歌謡曲に馴染むような環境で育てば歌謡曲が好きになるし、クラシックに囲まれて育てばクラシックが好きになる。これは大変正しいと思います。
三輪・それから角田さんの説では、日本の音楽では、ノイズ的なものが大事な役割を果たしている。西洋の楽器ではそうではないというんですね。だから、日本の楽器と西洋の楽器と合奏するのはナンセンスだというんです。
助川・武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」は駄目だということになりますね。
三輪・「ノヴェンパー・ステップス」についても彼はかなり詳しく論じてるんです。ここで武満はとても賢明なやり方をしていると言うんです。西洋楽器と日本楽器が同時に鳴らないようにしている。
助川・それは、それこそクリエイトの世界で、理論から逆算して造るわけでありませんからね。奇跡的な隙間のような所を見付けていくんですね。私にも十七絃と絃楽器の曲がありますが、構成主表的な発想ではなく、直感で両者の調和と融合を感じとりながら作りましたね。しかし、異文化でも学習できるとなると文化の違いも固定的なものではないですね。
三輪・しかし時間が間題ですよ。それと角田さんが言うのは言葉がからまなければいい、西洋の音楽でも言葉のない器楽曲であれば日本人でも右脳へ素直に入る、だから、脳を休めるためには器楽曲の方がいいと言うんです。言葉のあるものは日本人は両方一緒に入れてしまうから。角田さん自身、外国で英語のスピーチを続けるとくたくたに疲れるんだそうです。そういう時は洋楽の器楽曲を聴く。そうすると何日かたつ内に段々にアクセプトの日本式パターンが元に戻るんだそうです。
やはり角田さんによるとヽ琵琶が今の中国ではバチを使わずツメでひくんだそうです。しかもヨーロッパ的になっているそうですね。
助川・異文化の学習が可能で、それには大変な時間がかかるでしょうが、また別に本家本元と同じになる必要はないとも言えるんではないでしょうか。別な血による別なカラーのものが出来た方がいいともいえるんではないでしょうか。まさか科学はそうはいかないでしょうが
西洋音楽と日本人の音楽生活
三輪・小泉文夫さんの本の中に「西洋音楽に近づいた演歌」というのがあります。そこで小泉さんは「日本は演歌においてすでに西洋音楽の域に入っている」と言っています。
助川・少し前、「音楽の世界」に別宮貞雄さんが投稿されて「演歌の中に西洋の機能和声が使われているが、あれは違和感なく受けとられているのか」と書かれたことがあるんですね。
三輪・それは簡単に言ってしまうと時代の要求ではないですかね。これだけ西洋音楽が日本の生活の中に人ってしまうともはや日本人の感性と溶け合ってしまうか折り合いをつけてるんではないでしょうか。小泉さんがすぐれた例としてあげているのが、八代亜紀の「舟歌」なんです。
野口・小泉さんのなんという本ですか。
三輪・「歌謡曲の構造」という本で講談社から出ています。亡くなる少し前に出されたようです。小泉さんの生前最後の本じゃないでしょうか。
助川・歌謡曲も段々変ってきてると思いますよ。昔の歌は余り西洋的な和声をつけるとこっけいになってヘンになることがあったんですね。音楽大学の学生がアルバイトで西洋和声の伴奏をつけると使いものにならなくなったという話がよくありましたからね。昔の歌謡曲もいまリバイバルで編曲しなおす時は新しく西洋的な和声をつけなおしていますね。別宮さんが書かれていたことは、西洋でも初めから和声があったわけではないだろうから、日本人もやっている内に身につくだろうということですね。
三輪・なるほど、それで小泉さんが書かれていることはどういうことですか。日本の旋律はもともと和声をつけるには無理があるということ。
助川・それはそうですよ。もともと和声をもたない旋律ですから。だから和声に拘束されうものは西洋にもありますよ。グレゴリオ聖歌なんかがそうじゃないですか。和声を持ったために音楽に厚みが出来た反面、旋律が和声に拘束されるようになったことも事実ですが、これは仕方がないですね。家を持ったら家の管理に縛られるのは当然で、ホームレスでいればそれはないけど、その方がいいかというのと同じですからね(笑)。
三輪・それはそうですね(笑)。
助川・ある文化が持っているものを他の文化は持っていないということはよくあることで、ジャズが好きな人によると、ジャズのリズムに比べると西洋クラシックのリズムはなんとも間が抜けて仕方がないと言いますよ。西洋の和声とジャズのリズムは音楽を豊富にした二つの大きな要素でしょう。日本に和声は無かったんで、無いものは無いのですから意地張ったって仕様がない。勉強するほかないでしょう。西洋文化、西洋音楽も世界に広まった結果ずいぶん色々なものが出てきて、たとえば、ロックなんか、和音など有って無きがごとしで、ビートだけが強調されて、怒鳴ったり叫んだりしてるみたいに聞こえますね。時代の趣味なんでしょうが、私たちの世代にはなんとも殺伐としたものにしか聞こえませんがね。
三輪・まあ、ああいう形でなければ表現できない世界もあるんでしょうが、私たちには余りぴんと来ませんね。
助川・なんか、ふっくらしたものがなくて。それと、表現と刺激を混同してるんじゃないでしょうかね。
三輪・混同しているんではなく刺激しか求めないんでしょう。
助川・なるほど。だから、自分を他人に伝えようとするのに、ひたすら他人より大きな声でワメくことしかしようとしない。最近の殺伐とした世相と関係あるように思えますね。しみじみとしたものがない。いま流行っている「パフィ」とかいうのも、こんなもの何が面白いかと思いますね。
三輪・以前、NHKが調査した結果があって、日本人が好む音楽ですが、圧倒的に歌謡曲、次が演歌、次に日本民謡が四パーセントくらいあるんですね。
助川・浪曲はありませんか。浪曲とクラシックか同じくらいと聞きましたよ。昔よりずいぶん減りましたね。私たちの子供の頃はラジオでいつも浪曲をやっていましたからね。広沢虎造とか米若とか。
三輪・演ずる人がいないでしょう。
助川・伝統芸能でも減っていくのもあるんですね。そのNHKの調査ですが、私たちの会のシンボジウムでも話題になったことがありましたが、この調査には関心度が入っていないという指摘がありました。どれだけ熱心なファンかという程度の差です。どちらかというと好きで聞くという程度と、その音楽が聞けなければ死にたいくらいだというのとを数だけで比べても無意味だと言うんですね。
三輪・なるはど。
助川・歌謡曲の変遷を考えてみると、戦前の古賀政男の明るい方の歌はよかったし、第二次大戦直後は服部良一の一連の歌、「銀座かんかん娘」などからしゃれた和音表現が出てきたんですね。その後、長い間に伝統風というか古風な演歌タイプの歌がまた勢力を盛り返してきた。土俗宗教と外来宗教の対立みたいですね。
三輪・それにしても今の私たちにはみんなで歌う歌がないですね。いま私たちはカトマンズに共同の家を建ててるんですが、現地のネパールの人たちと交流してお酒が入って歌を歌い始めると、あちらの人は幾らでも歌う歌がある。ところが私たちは歌う歌がないんですよ。仕方がないから小学唱歌を歌い始めたんですが、これも一番しか歌詞を覚えていない。みっともない恥ずかしい思いをしましたよ。
助川・日本では歌の種類が分化してしまったせいもあるんじゃないですか。昔の国民歌謡の頃は「椰子の実」とか「朝」とか「春の唄」とか、みんなで歌う名曲がありましたがね。
三輪・あの頃みんなで歌いましたね。
野口・いまはみんなで歌うというよりカラオケですね。しかし、あそこで歌われる歌が多くの人の共感を集めているかは疑問ですね。昔の歌の方が、多くの人の共同体験を吸収しているものがあったんじやないですか。
日本文化のこれから
助川・話を科学に戻しまして、科学の方では日本的科学というのはないんでしょうね。
三輪・ないですね(笑)。
(註)この対談の時は思いつかなかったが、京都大学のサル学は日本的発想の研究と言えるかもしれない。ただし、自然観察の方法論の起源にまでさかのぼれば、これも西洋起源ということになるのだろうか。(三輪)
助川・それでも、日本人であるが故の西洋の学者との考え方の違い思想の違いとかいうものが出ることはあるのですか。
三輪・そういうことよりも、もっと低次元のことでコミュニケーションが難しいということでしょうね。自然科学は数式とか記号とかで表わすことが多いから間違えることはないけれど、微妙なことを伝える時は言葉の問題が出てくる。
助川・化学の方も共通語は英語ですか。
三輪・英語です。世界中どこでも英語です。
助川・第二次大戦前はどうだったのですか。
三輪・化学はドイツ語でした。面白いのは各分野には欧文誌というのがあるんですが、日本の欧文誌に英語なら英語で寄稿すると、日本人の編集委員が細かい所までこまごまと直してくるんですね。ところが外国の学会誌に投稿するとほとんどフリーパスで入ってしまう。向うは意味が通じればいいという考えなんでしょうか、日本人は変に文法にこだわったりしていじる。だから日本の欧文誌には投稿せず、外国語誌に投稿することになる。
助川・英語にはこれが正調というのはないとも聞きましたね。それぞれの英語があっていいというんですね。どこかで聞きましたがヽアメリカのテレビニュースが犯罪の報道をしていて「犯人は英国なまりの英語を話していた」と言っていたそうですよ。英国なまりの英語(?)ってことありますか(笑)。
三輪・インドの英語もすごい発音ですけど、これも角田さんによるとインド人の英語は子音がはっきりしているから通じるんだそうです。日本人の英語は子音が余りはっきりしないので通しにくいと書いてありましたね。
助川・ところで、西洋人のしつこさと自己中心主義はすごいものですが、イスラム圏の人もすごいですね。
三輪・あれも西洋と同じで、私が言うあちらの文化圏ですよ。
助川・しかし、こう世界がせまくなってくるとあまりに不寛容で強引な考え方は差し障りが出てくることはないでしょうか。日本の江戸時代は300年近く絶対平和を守ったというとも聞きましたが。
三輪・私も江戸時代の文化はすばらしいと思います。ああいう形のままでは近代に生き残れないでしょうけど。
助川・最近の音楽界で注目すべきはジョン・ケージの思想が果たした役割ですね。彼の思想は東洋の影響を受けているといいますが、現代音楽にたいへん大きな変革を起こしました。それまではシェーンベルクの進歩主義的歴史観、これが圧倒的に支配的で、歴史はある方向に向かって進むという暗示の呪縛は大変なものでした。
ところが、音の組織化が音列だけでなくリズムから音色まで徹底的に進める所まで来た段階で、突然ジョン・ケージが偶然主義というものを持ち出してきた。一種の計画的デタラメみたいなもので、徹底的組織化とデタラメが実は近いという妙なことになってきた。この影響は、音楽の歴史観、価値観が一元的なものから解放されたことです。この呪縛からの解放は途方もない結果であると思います。
野口・彼は東洋思忠の影響を受けているんじゃないですか。
助川・そういわれるが、彼は西洋人の姿勢で東洋哲学を受けとめたんではないかと思うんですね。それは本質的な点を捉えたんで、よく西洋人がやるように自分勝手な興味から東洋思想をつまみ喰いするんではなく、始めにお話があった徹底追求の精神で東洋思想に学ぶものを見い出したということですね。
三輪・全く同感です。
助川・日本人の音楽のあり方に話を戻しますが、ある日本人の歌い手がイタリアで勉強して、イタリア人に負けないくらい上手にイタリアの歌を歌う。それはとても立派なんだけど、私たちがイタリア歌曲のCDを仮りに買おうとしたら、やはり日本人が歌ったCDではなく本場のイタリア人が歌ったCDを買いますね。日本のオーケストラが幾らうまいと言っても、ペートーヴェンやシューベルトのCDを買おうとすれば、やはりあちらの一流の演奏したCDを買いますね。だから日本人の音楽家、演奏家も何を目標にし、何処を目指して進んでいくかということを考えなければならないでしょうね。
三輪・その通りです。世界の音楽作品の中で、他民族が演奏可能なのは西欧音楽しかない、と柴田南雄さんは言っています。これも西欧文化の合理性の勝利(?)でしょうか。われわれの音楽が世界共通の文化となるにはまだまだ色々な間題があるように思います。
助川・それではこの辺で。長い間有難うございました。
三輪誠氏・
京都大学理学部卒業。東京工業大学を経て成渓大学工学部元教授。理学博士。
(『音楽の世界』1997年8/9月合併号掲載)