■ 論  壇 ■
=  われらのうちなる「よど号」 =   作曲 助川 敏弥
-- 自己目的にのめりこめば帰るに帰れなくなる --
                               


  「よど号事件」というものがあった。30年前のことだから若い世代は知らないかも知れない。東京から福岡へ向かっていた日本航空機が過激派にハイジャックされたのである。
彼等は北朝鮮に向かうことを要求し、幾つかの過程はあったが最終的に彼等は平壌に到達した。以後、彼等はそこで生活することになった。
 以後30年、彼等が夢見た世界革命は実現せず、彼等は中に浮いた存在となった。最近の世界情勢の変化もあり、北朝鮮も彼等の存在を迷惑がっているとも伝えられる。
すでに彼等も50才台である。望郷の念にとりわれているとの情報も伝えられる。しかし彼等は帰りたくても帰れない。帰国すれば逮捕されるからである。
 いまなぜこの話を持ち出したか。それは、こうした行為の過程をたどることは彼等に限らないからである。出発時のこころざしがいつのまにか変質し、目的が自己目的と化し、ついには当初の目的とは似ても似つかぬ身勝手な行為と化してしまう。「よど号」の彼等とても、当初、彼等がどのような理念をもっていたか知るよしもないが、まさか犯罪を目指していたわけではなかろう。目的を追う過程で、いつのまにか目的が自己目的と化し、ついには暴挙も合理化する思想に変質してしまったのである。
 20世紀初頭、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、バルトーク、プロコフィエフ、などの人たちが在来の音楽とは違う音楽を造りはじめた。それは外見が新しいだけでなく、新しい意識のもとに自覚的に創られた音楽であった。以来「現代音楽」という呼称が生まれ、第二次大戦後はことに盛んになった。1960年代はこの種の音楽が盛んであった一つの頂点であったろう。ヴェトナム反戦運動が高揚し、世界的に学生運動が荒れ狂った時代である。こうした背景が多分作用しての現代音楽の高揚であったろう。しかし以後、その動きは続かなかった。
 しばしば言われることだが、大戦前の音楽は当時としては新しくはあったが、現代では演奏会の曲目として定着している。しかし、大戦後の音楽はすでに50年、半世紀を経過しているにかかわらず、まず一般演奏会で演奏されることはない。今後もありそうがないのである。シュトックハウゼンの「コントラプンクテ1」、ブーレーズの「マルトー・サン・メートル」はどうなったのか。50年後の現在、初演当時よりも演奏もされず話題もならなくなったではないか。20世紀の初頭の曲が通常の演奏曲目に入っていった過程とはどこかが大きく違う。世紀初頭の曲が現れたのが1910年台とすると、戦後のこれらの曲との時代差は約40年である。あと40年すれば戦後の曲が現在のシェーンベルク、バルトーク、ストラヴィンスキー並みになるか。新しいからなじめないので、時間がたてば受け入れられるという擁護論はもはや成立しない。現在その気配もないし、むしろ可能性は薄くなっているではないか。
 1910年台、作曲家たちは何か不吉な鳴動音を聞いた。在来の価値観が微振動を起こし、やがて地殻の変動がせまりつつあることをすぐれた感性は感知したのである。カナリヤは大気の異状を最も早く感知し毒性があれば真っ先に倒れる。作曲家たちは感性が感知したものを表現したのであって、新しいものを造ることが目的だったわけではない。だから、当時こうした「新しい音楽」と同時に、マーラー、スクリアビン、レーガー、ドビュッシイ、サンサーンス、フォーレ、プッチーニ、デュカス、レスピーギ、グラナドス、ラヴェル、などが仕事をしており、時代遅れといわれることもなかった。目的が感性の自然な表現であり、新しくあることではなかったのである。それが価値尺度だった。
 しかし、戦後の音楽は違った。「ウェーベルンから出発せよ」という威勢のいい掛け声がかけられ、どれだけ新しいかの競争となった。もはや、新しいことは結果ではなく目的となった。当時、戦争で中断された芸術活動が時代に追いつこうとするアセリもあったろう。しかし、戦後も遠くなり、遅れを取り戻す時期は過ぎたのに、新しさの競争は自己目的と化し、いよいよ熾烈となった。その結果どうなったか。音楽本来の目的を振り捨てて別なものを目的とした結果、当然のことながら聴いてくれる相手がいなくなった。原初の目的であったはずの社会改革はどうでもよくなり、過激な思想の競争が目的となった政治運動と同一の道筋をたどったのである。
 新しさを競い、そこに価値の基準をおく彼等の思想の根底には「進化論」がある。遠く過ぎ去ったチャールス・ダーウィンの信奉者で彼等はある。いまどき未来が現在よりも進化していると無邪気に思い込む彼等こそ手がつけられない前時代の遺物である。公害、環境、人口、資源、紛争、破壊兵器、道徳崩壊、あまたのやりきれない憂欝が待ち受けているのが今日の未来である。 社会が彼等の「現代音楽」、通称"前衛音楽"に関心を持たなくなったことが彼等の中でも時に憂慮されるているようである。しかし、はるか平壌の地へ飛び去った彼等には戻る場所はない。もとの場所に戻るには思想のリハビリが必要である。   (すけがわ・としや)

 

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