最近、日本人の科学者、鈴木章氏と根岸英一氏が二人揃ってノーベル化学賞を受賞したこと、COP10(生物多様性第10回締約国会議)が10月に名古屋市で開催されたことなどで、科学関係の事件が大きなニュースとなっている。
音楽を専門としている私が、科学の話題を取り上げるなど奇妙と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、私は子供の頃から大の自然科学好きで、小学校時代、学校の図書館から借りる本の殆どは、科学か文学(童話)の本だった。
私が小学生時代を送ったのは、戦後間もない時期であったが、その頃の児童向け科学書の中には、戦前の遅れた理論をもとに執筆されたものもあり、太陽は一億年後には炎が小さくなり、5億年後には燃料が燃えつきて、冷えた星になってしまうなどと、まことにしやかに書かれたひどい本もあったのだ。すでに水爆が完成し、水爆実験が行われていた時代に、太陽エネルギーが水爆同様核融合反応によって生み出されていることを理解せず、通常の燃焼作用と誤解して書かれた本が、学校の図書館にまだ存在していたのである。高校時代、私の文学熱、科学熱は一時的に冷めたが、大学に入学してから、また復活した。大学2年の頃、畑中武夫著:『宇宙と星』(岩波新書)を読み、主系列の恒星など、質量の違いにより異なった一生を送る恒星の誕生から終末に至る物語を知り、目が洗われる思いがしたが、その書をきっかけに小学生時代の天文少年の心が蘇り、天文学関連の本を何冊か夢中に読んだ。
ところで、私が改めて科学に興味を覚えた大学時代からでさえ、すでに半世紀の時間が経過しているが、その間、今までの定説を劇的に覆すような新発見がいくつもあった。その一は、ヴェゲナーが最初に唱え、一度葬られた「大陸移動説」が実証性のある観測データを踏まえ復活したこと。いまでは、マントル対流により地球表面のプレートが移動し、大陸を動かし、地震を引き起こしていることが、動かしがたい事実として広く認識されている。その新学説により、地球史、生物史は大きく塗り替えられた。第二は、恐竜絶滅の原因の解明である。生物界を支配していた恐竜が6500年前に突然大絶滅し地球上から姿を消したが、その原因については諸説あった。しかし、いまでは巨大隕石(小惑星)衝突説が、最も有力となって来ている。第三は遺伝子の発見とゲノム(全遺伝子情報)の解析作業の進展であろう。この三つは私が特に強く関心を持ったものであるが、他にも重大な新発見は色々あろう。学説の大転換は、その分野の研究者にとっては、大変な苦労をともなうものと想像するが、単なる好奇心から科学の上っ面を囓っている私のような素人にとって、それは推理小説を読む以上にスリリングで心をワクワクさせるものがある。
この種の好奇心に溢れた人間は、私の世代には比較的多く存在するのではなかろうか。私が大学生だった頃の話だが、某日本通のフランス知識人が、岩波新書、岩波文庫などを手に取り、「これだけ質の高い教養書が大量に安く出回っていることは驚きである。日本の知識層の厚さには感心する。」と語っていたという記事を、某週刊誌で読んだことがある。しかし、高度成長期を経て、大衆文化時代に入ると、岩波新書のように文字情報を中心としたお堅い本は、一般的にはあまり好まれなくなって来る。そういう流れの中で、講談社のブルーバックスは比較的健闘していたし、私もよくお世話になった。近年では「Newton」という科学誌をよく手にする。科学専門誌というより科学教養誌というべき内容の雑誌だが、最新情報を多くとり込みながら、判りやすく、またカラフルな図版が多く掲載されており、目を楽しませてくれる。ところで、この科学誌の初代編集長は竹内均という地球物理学の先生で、私がはじめて「大陸移動説」に触れたのも、この人の著作を通してであった。さて、ここからがこの文の本題である。
東京大学の地球物理学教授であった竹内均は、1981年退官するが、その後、彼はテレビの科学番組に頻繁に出演し、多くの著作を出版し、科学雑誌「Newton」を創刊し初代編集長に就任するなど、正に八面六臂の活躍をする。科学者でこれほどテレビ出演が多かった人は珍しく、スター並みだった。しかし、彼が頻繁にテレビ出演したのは、決して目立ちたがり屋だったからではなかろう。その語り口はユーモラスで、話の内容も判りやすく親しみが持てたが、その穏やかな表情の奥に、科学の素晴らしさ、面白さを、できるだけ多くの人に伝えたいという熱い情熱を感じた。「Newton」はそういう彼の意志を具現化した雑誌である。彼はこの雑誌の編集長を18年間続け、2004年4月に他界した。創刊時には弟子達から「先生のような素人がそんなようなことをやっても,3か月くらいでつぶれるんじゃないですか」と笑いながら言われたそうだが、彼亡き後もその意志は受け継がれ、総合的な科学雑誌としていまでも発展的に継続している。竹内均が大活躍をしていた頃、すでに若い人達の理工離れがはじまっていたかもしれない。そういう中で、科学好きを増やすのに貢献した竹内均と「Newton」の功績は大である。
現在はマス文化の時代である。そういう中でテレビやラジオも出版業界も、食うため、生きるために、安易にマスに迎合しがちである。一方学術界は「専門」という聖域に閉じこもりがちである。芸術の世界も、学問の世界も、いまこそ竹内均が「Newton」で示したように、情熱をもって、それぞれの領域で培ってきた価値あるものの素晴らしさを、多くの人々に伝える努力が必要ではなかろうか。そういう努力の積み重ねによって、音楽好き、文学好き、科学好き、歴史好きをもっと増やして行くことが可能となるのではなかろうか。
ところで、この雑誌、日本音楽舞踊会議機関誌、月刊『音楽の世界』の歴史は「Newton」よりずっと長く、あと少しで創刊50年を迎える。この雑誌の言論活動と、コンサートなどの実践活動を通して、我々が人々に何を訴えることが出来るか、創刊50周年を期に、その役割と可能性について、再検討してみる必要があろう。
(なかじま よういち 本誌編集長)
『音楽の世界』2010年11月号掲載