フルトンの馬鹿と云われた蒸気船
もう、1年8ヶ月前のことになるが、2016年5月19日~6月10日の期間は大腸癌(正式病名:下行結腸癌)の手術ため、東大和病院に入院した。病院の医師も、また医療関係の仕事に従事している肉親も、今の段階なら、手術で患部を切除すれば、完治する可能性が高いので、あまり心配ししないようにと励ましてくれた。手術日の二日前に入院し、これから行う手術について、とても丁寧なガイダンスを受けた。大腸は患部を含む上下14センチ切除し、転移防止のためリンパ腺も取り除くとのことだった。ところが皮下脂肪が厚く、大腸の患部は腹腔鏡で切除出来るが、その他の部分は開腹手術が必要で、難しい手術になるということだった。
21日の手術当日は、姉と妹に付き添われて、9時に手術室に向かい、手術室で麻酔注射を打ってもらい、多分午前10時頃には眠りについてしまった。
それからどれくらい経ったのだろうか「コンパイラ(パソコン言語)がどうのこうの、というような分けの判らない悪夢をみながら、次第に目が覚める。すでに夕刻になっていたようだ。医師と姉の声は聞こえたが、妹はどこにいるか判らなかった。
手術を終えた日は、集中治療室で過ごし、翌日は一般病棟に戻るという予定だったが、結果的に4日間、集中治療室で過ごすことになった。点滴の水分が肺に逆流し、肺が白くなったとのこと、酸素ボンベを使っての呼吸は息苦しく、呼吸の数を数えながら時間が経過してくれるのを願うが、時は遅々として進まず、一分が一時間ほどの長さのように感じられた。
苦しい呼吸の中で、どうしてか「フルトンの馬鹿と云われた蒸気船、ハドソン川を水掻きのぼる」という言葉が頭に浮かんできた。これは小学生の頃、定期購読していた児童雑誌の付録としてついてきた「世界偉人伝紙芝居」のうち、ロバート・フルトンについて書かれた文であった。それが60年以上経て、なぜか、病院で集中治療室のベッドに横たわる私の脳裏に蘇って来たのである。
私は子どもの頃から、しばしば「自分は理解されていない、周囲から疎外されている」というような妄想に取り憑かれることがあった。そのような私にとって、周囲の無視や侮蔑に耐えながら努力を積みかさね、やがて成功を収める人物像は強い憧れの的だった。
「なぜ!彼奴は性懲りもなく出来もしないことに挑戦し続けるんだ」「彼奴は馬鹿さ、だから彼奴の蒸気船のことを<フルトンの馬鹿>というんだ」
そのような周囲の人々の嘲笑をしりめに、<フルトンの馬鹿>は、蒸気の力でハドソン川の流れに逆らい颯爽と上流に向かって進んで行く。「フルトンの馬鹿と云われた蒸気船、ハドソン川を水掻きのぼる」の言葉からはそのような光景が目に浮かぶ。そして、子供心にもこの成功ストーリーがすっかり気に入り、頭にこびり付いてしまっていたのだろう。
そして私は、この言葉を繰り返しているうちに、「ようし、必ず病気を克服し、復活してやるぞ」
と、強い勇気が湧いて来た。また遅々と進まなかった時間も、この言葉を心で繰り返し唱えることで、自分の意志の力で前に進めることが出来るような気がしてきた。
子どもの頃、両親に買って貰った児童雑誌の付録が、60年後の自分に、このような力を与えてくれるとは、....
( 2018/01/25)
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