ファン・ゴッホの人と芸術についての論争
~日本人の判官贔屓〈ほうがんびいき〉について:~〈1〉



 

 30年近くも昔の話だが、私はオランダで1年間ほど過ごしたことがある。電子音楽の研究という名目だったが、ハーグの国立音楽院に籍をおきながら、ヨーロッパ各地の教育機関(大学、音楽大学)や研究機関を視察訪問するという目的もあった。ところが、私は語学が著しく不得手だったので、欧米の人々とコミュニケーションをするために、せめて英語くらいは、少しでも上達させなければということで、に日本で短期間通っていた英語スクールと同系列のスクールに、オランダ滞在時も継続して半年間学ぶことにした。その英語スクールはアムステルダムにあった。    
 その系列の英語スクールの学習法はすべて個人レッスン方式だったが、私が教わったカルロスという男性英語教師は本来画家志望で、副業で英語教師をしているというような人物だったが、レッスンの方法も独特で、半分くらいの時間はテキストに沿って行ったものの、残りの時間は、様々な話題によるディスカッションで費やした。私はそれがとても楽しかったが、私が東洋から来た音楽家ということで、彼も私の受け答えを興味深く受け止めていたのであろう。いつの間にかレッスン時間が延びて、規定時間の倍近くになることもあった。
 ディスカッションの話題は、美術、音楽、歴史、文化全般など様々だったが、彼が日曜画家ということで、美術に関するものが多かったように思う。
私は、アムステルダムには毎週訪れていたので、国立美術館は勿論、ファン・ゴッホ美術館にも何度か足を運んでいたが、11月にファン・ゴッホ美術館と並んで多くのゴッホの作品が展示されていることで知られている、オランダの東の端オッテルローに建つクレラー・ミュラー美術館を訪れ、彼にその話をした。
 その日は当然、ゴッホの芸術と人についての話題でディスカッションすることになった。
彼は、ゴッホの絵は好きだが、人間は嫌いだと言う。「彼にはプリースト・コンプレックスもあったりして(彼は一時期、炭鉱の坑夫など貧しい人々を救うために聖職者になろうとするが失敗している)精神的に不安定な上、ひどく自己中心的で、一時たりとも一緒に過ごすことは耐えられない人間だったろう。」
 私が、「日本人にはゴッホの絵だけではなく、人としてのゴッホを愛する人も多い」と言うと、彼は「なぜ」と聞きかえして来た。「ゴッホは激しく純粋な魂しいを持った人間だが、著しく不器用で、現世においては成功しなかった。」、しかし多くの日本人は、そのような彼に対して強い共感と抱いている」。「なぜ!日本は世界の中でも、特に大きな成功を勝ち得た国ではないか」(この頃、日本は世界第2の経済大国となり、多くの欧米人が日本人を「エコノミック・アニマル」と称していた。)
 私は、多くの日本人は想う。「If he is too innocent and too honest he can't succeed in his life. (純粋すぎる人間、そして正直すぎる人間は、この世では成功しない)。 しかし、多くの日本人は、そのような人間に共感と愛情を抱くのだ」と説明した。
 「純粋すぎる人間、そして正直すぎる人間は、この世では成功しない」という私の説に対しては、「それはそうだ」と彼も大きく頷いた。しかし、その説によって、彼自身のゴッホ観がいくらかでもでも変化したかどうかは、判らないが。
 その日は、そこまで話し合って、時間切れとなり別れた。
   (2018/03/03)

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