◆ 音舞会(オンブカイ)のマークが出来るまで ◆
Onbukai とは一体何を意味する綴りでしょうか。それは日本音楽舞踊会議の、略称「音舞会」のローマ字綴りです。
日本音楽舞踊会議は55年の歴史を持つ会ですが、私が入会した1987年頃は、日本音楽舞踊会議という正式名称は長いので、会の内外を問わず、音舞会(オンブカイ)という略称が一般化しておりました。
私が入会した頃は、会内でパソコンを使える人は少なかったのですが、1995年頃になるとパソコンも社会的に広く普及するようになり、インターネットも普及し始めました。私は2001年に自分のホームページを立ち上げたのですが、それを見て、当時事務局長だった助川敏弥さんや、他の会員の方々から、会のホームページを立ち上げて欲しいとの要望が出されました。 私が、会のホームページを最初に立ち上げたのは2002年でした。
その際、助川さんから会のシンボルマークが欲しいと提案され、助川さんが作成した会の広報などにも使われていた、パンダのイラストを提供され、そのパンダの図柄に音舞会のマークを貼り付け、音舞会のシンボルマークに出来ないか、相談を受けました。
図A パンダの原画 | 図B OBK試作マーク1 | 図C OBK試作マーク2 |
上図の左が原画で、図Bと図CがOBK のロゴを貼り付けた、シンボルマークの試作品です。
このマークにつきましては、「可愛らしくていいじゃない」という意見があった一方、「会のシンボルマークにするには子供っぽく幼稚な感じがする」というように、賛否両論がありました。
しかし、問題はパンダの原画は助川さんが何処からか借り受けて来たもので、それを公式マークとして採用するには著作権などの上で問題がありました。
正規のマークを定めるなら、やはり正真正銘オリジナルなマークを作成した方がよかろうということになり、会のホームページの作成者である私が、試作することとなりました。
私は子供の頃から絵を描くのは大の苦手だったので困惑しましたが、音楽団体のマークなら、楽器の絵柄が良かろうと考えました。それも今出回っている楽器ではなく、古楽器がよかろうと考え、ギリシャの絵画に見られる弦楽器をもとに、デザインすることにして、ギリシャの弦楽器、リラ(Lyra)、キタラ(kithara)の絵を参考にしました。リラとキタラは見かけも構造は似ていますが、専門家の解説だと、キタラでは共鳴するのは胴だけではなく、左右の支柱も共鳴するように作られているのに対して、キタラに比べより素朴なリラでは左右の支柱は単に張弦軸を支える木の棒(時には曲がっている)でしかないそうです。リラの絵をもとにした試作品が、図Dです。そして。それをもとに、それをカラー化したのが図Eです。
図D 楽器リラを図案にした元絵 | 図E 図Dをカラー化した絵 |
それに“OBK”のロゴを加えて、音舞会のマークがとすることになったのですが、複数の色合いのもの作成し、運営委員のみなさんの意見を募りました。図F
図F:何種類かの色合いのものをサンプルとして提示した。 |
図G | 図H |
「蛇をイメージしてしまう」という、芳しくない感想もありましたが、「まあ、楽器の図柄をマークにするのは音楽団体らしくて良いのではないか、他に同じ図柄のマークはなく正真正銘のオリジナルだし」ということになり、とりあえず、図G、図Hの二種類を正規のマークとして採用することになりました。パンダのマークは捨てるのは忍びないということで、サブマークとして継続して使用することになりました。
しかし、しばらくすると。OBKのロゴについて、「あまりも内輪すぎる」、「国内だけでなく、外国でも活躍している会員がいる会なのだから、国際的に通用するロゴの方がいい。」という意見が出されました。
OBK とは OnBuKai のローマ字綴りから、3文字のアルファベットを採った略号です。
しかし、会には規約にこそ記載されてはいなかったものの、The Committee of Music and Dance Japan
という、創立時から公的に通用して来た英語の団体名がありました。それで、その英語名から、Committee Music Dance の単語の頭文字をとって CMD を会の英語名の略称とし、それで会のロゴを作り、それを貼り付け 新しいマークとすることにしました。そして完成したのが 図I です。
図 I 完成したCMDのマーク |
さらに2006年には、規約の条文に、英語名を明記することになり、その際、略号がそのまま使えて、しかも、今の時代に相応しい英語名称に変更することになり、審議の末、The
Conference of Music and Dance Japan となりました。そして、その際、略号に にJapan の頭文字を加え、CMDJ とすることが決まり、そのロゴを加えたメーク が会の正式マークとなりました。
それ、以降、会が主催コンサートには、チラシのどこかにこのマークを使うことが決まりとなり、いまでは日本音楽舞踊会議の公式マークとして定着して来ています。
マーク自体は、特に人目を惹くような目だった図柄ではないかもしれませんが、それが生まれて来る過程で会に関わった色々な人たちの思いが反映しています。しかし、マークが生み出された頃、それに関わった人は、すでに故人になられたり、会を去ったりして、多くの方々が会から去ってしまいました。
従って、そこに秘められていた筈の数々の思いも次第に忘れられて行く運命にあるのかもしれません。
何の変哲のないマークであっても、それが生まれ育って行く過程に、色々な人の思いが込められたことに思いを馳せていただきたいと思い、マークの創案者である私が、この文を書きとめまることにしました。
中島 洋一(マーク制作者) 記