研究部会第五回例会報告
★ 「旧制中学校歌の変遷に見る二重文化の風化現象」★
〜札幌第一中学校校歌 「雲より出でて一百里」の由来を調べて〜
発表者 助川敏弥
研究部会第五回例会は、9月23日(月)3時から金原さん宅で開かれました。
今回は助川敏弥氏が自身の母校、札幌第一中学校の校歌の変遷を文化史、社会学的観点をも踏まえた解析を試みました。
参加者は助川敏弥・高橋雅光・中島洋一・西山淑子・湯浅玲子・・畑山千恵子・金原礼子・金原氏のご主人・花輪一郎(賛助会員)・西耕一(非会員)の10名でした。
この校歌は、明治三十八年十月十九日、本校創立第十周年記念式で発表制定されたもので、第六代校長尾原亮太郎先生が、十周年記念のため、作詞(大和田建樹(おおわだ・たけき)、作曲(小山作之助)の両氏に依頼されたものということですが、もとの節にはファ(4)、シ(7)が入っているものの、歌い継がれてゆくにつれ、4、7を省いたヨナ抜き音階に変わって行きます。
西洋文化に憧れと劣等感を抱く作曲家小山作之助が、無理に西洋風の音を取り入れようとこころみたものの、歌い継がれて行くに連れ不自然な部分が取り除かれて行き、自然にヨナ抜き風に変わって行った点。初版にあった、第6番の歌詞「地の利を占むる北海の 前途はいやまし多望なり いざもろ共に報国の 心一つに進取せん」が、途中から姿を消す事。ロシアを仮想敵国としていた当時の国策と、その後の我が国の国策の変化が、その歌詞の挿入と削除に強く影響を与えているのではないか、といったことが発表され、その後、活発な質疑応答がありました。 なお、当日の写真を以下に掲載します。
報告:中島洋一
当日の写真 写真撮影: 中島 洋一
参加者の面々、前列左より畑山、金原の各氏
後列左より高橋氏、金原氏のご主人
参加者の面々:左より花輪、助川、西、西山淑子の各氏
湯浅玲子さん
(研究部会世話人)
参加者の面々:左より助川、中島洋一、西の各氏(撮影:金原礼子氏)